現在の子どもたちが直面しているあらゆる危機は、従来の教育観や子ども観をもって解決できるものではなくなってきている。今日の日本の教育現場が抱える危機は日本社会の行き詰まりの一種の現れであり、家庭や学校にだけその原因を見つけようとしても十分ではない。つまり現在の子どもの危機は、家庭や学校はもちろん、子どもを取り巻く地域環境にも目を向けたり、教育を再生させる方法を探りだしたりして解決する必要がある。
学級崩壊やいじめ、虐待といった教育に関する問題は、その教育を行うものに非があると考えられていた。たとえば90年代後半から徐々に世間でも知られるようになった「学級崩壊」は、授業中に前を向いて教師の話を聞かず、友達と喋ったり、突然席を立って廊下に走り出したりする生徒たちにより授業が成立しない状態のことを指す言葉であるが、この原因を教師の質の低下や家庭におけるしつけの不十分さによるものだと考える傾向があった。しかしその真因は、学校を支えてきたかつての社会的・文化的構造が崩れ、学校という空間は今や大きな変貌をとげようとしているにもかかわらず、
現在の子どもたちが直面しているあらゆる危機は、従来の教育観や子ども観をもって解決できるものではなくなってきている。今日の日本の教育現場が抱える危機は日本社会の行き詰まりの一種の現れであり、家庭や学校にだけその原因を見つけようとしても十分ではない。つまり現在の子どもの危機は、家庭や学校はもちろん、子どもを取り巻く地域環境にも目を向けたり、教育を再生させる方法を探りだしたりして解決する必要がある。
学級崩壊やいじめ、虐待といった教育に関する問題は、その教育を行うものに非があると考えられていた。たとえば90年代後半から徐々に世間でも知られるようになった「学級崩壊」は、授業中に前を向いて教師の話を聞かず、友達と喋ったり、突然席を立って廊下に走り出したりする生徒たちにより授業が成立しない状態のことを指す言葉であるが、この原因を教師の質の低下や家庭におけるしつけの不十分さによるものだと考える傾向があった。しかしその真因は、学校を支えてきたかつての社会的・文化的構造が崩れ、学校という空間は今や大きな変貌をとげようとしているにもかかわらず、学校がそれに気がつかずにいまだに社会から閉鎖された環境にあ...