『清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち眞字書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑ歌手たのみて侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、自ずからさるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ。』
前記した一節は『紫式部日記』の中で、清少納言について紫式部が書いている部分である。この二人は互いに著書の中で悪口を並べ立てているが、紫式部曰く「清少納言は女だてらに利口ぶって漢字を書いているけれど、よく見れば間違っているところも多い。他人から抜きん出ていようと心にかけている人はろくでもない事になるだけである」つまりは女でありながら間違いの多い眞字を書きちらしている清少納言ははしたない女である、と紫式部は書いている。
「一という字さえ読めないふり」と言われるように、当時の女性には表だって眞字を学ぶ機会は与えられなかった。代わりに行われた女性教育は主に歌を詠み、琴を弾く事を教えられた。これは当時が女性が経済的に自立するなど思いもよらなかった時代であり、貴族階級の女性は同じ階級の男性の妻となるしか生きる道がなかったからである。そしてそういう男性の妻となるには、交際に必要不可欠な恋愛儀式とも言うべき歌の遣り取りが上手くなくてはいけなかったからである。
平安貴族の師弟教育
一 平安女子の教養
二 平安男子の教養
三 平安時代の初等教育
一、平安女子の教養
『清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち眞字書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑ歌手たのみて侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、自ずからさるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ。』
前記した一節は『紫式部日記』の中で、清少納言について紫式部が書いている部分である。この二人は互いに著書の中で悪口を並べ立てているが、紫式部曰く「清少納言は女だてらに利口ぶって漢字を書いているけれど、よく見れば間違っているところも多い。他人から抜きん出ていようと心にかけている人はろくでもない事になるだけである」つまりは女でありながら間違いの多い眞字を書きちらしている清少納言ははしたない女である、と紫式部は書いている。
「一という字さえ読めないふり」と言われるように、当時...