戦前の福祉政策の特徴
1874年に制定された恤救規則は、我が国で初めて制定された救貧制度である。しかし、血縁・地縁による相互扶助によって救済されることが原則で、「無告ノ窮民」に限り公費で救済するという制限的救済であった。貧困が社会問題になっても公的な救貧制度は未整備であり、それを補う形で民間篤志家や宗教関係者による救済事業が展開された。第一次世界大戦後の不況下で、国民の民主主義や社会権を求める気運が高まるとともに、救護課の設置や方面委員制度の普及など社会事業が徐々に体系化された。1929年には関東大震災や大恐慌の影響による失業者の救済として救護法が制定された。恤救規則と違い、国家が公的扶助義務を持ったが、要救護者からの請求権はなく、労働能力のある貧困者は適応外にされるなど、本質は「法の反射的利益」のままであった。1938年以降、国民健康保険法や医療保護法などが整備されたが、真の目的は健民健兵政策の強化であり、軍事政策に組み込まれた「戦時厚生事業」であった。
2.戦後の福祉政策の特徴
第二次大戦後の日本の社会福祉システムは、GHQの対日福祉政策によって形成された。GHQの無差別平等...