白石温麺の歴史は、1581年に伊豆国から鈴木兵庫頭の子孫である嘉茂左衛門が武士の身分を捨てて白石に住み着いたことから始まった。嘉茂左衛門の家には、片倉小十郎景綱が鷹狩りに訪れた際に引越しを勧め1607年に町場に引っ越すことになった。そこで宿を始めたところ勤めて繁盛したため、それ以来二代目、三代目と受け継がれていった。
三代目源蔵のときに、妹に岩沢和右衛門の弟である久左衛門を婿にし、1674年に新たに一家を成立した。久左衛門は二代に渡って1701年まで検断役を勤めた。二代目久左衛門は胃病を患い何日も断食することがあり、衰弱は甚だしく、親思いの浅右衛門をひどく心配させた。久左衛門は素麺が大好物で、病中に素麺を食べたいと訴えたが、医者は、素麺は油を使っているので胃病にとても悪い、といって許さなかったので浅右衛門は困ってしまった。浅右衛門は、油を使わない素麺を探し続けたが見つけることはできなかった。あるとき、旅の僧が油を使わずに作る麺のことを聞き、浅右衛門はその製法を熱心に習い念願の油を使わずに作る素麺を手にすることができたのである。これを久左衛門に食べさせたところとても大喜びをし、毎回これを食べるようになった。油を使わないためさっぱりしていて、消化にも良いので久左衛門の永年苦しんでいた胃病が全快した。一度は上方までその製法を調べに行ったとも伝えられ、その孝養心と熱心な努力がみのり、ここに初めて白石温麺が創り出されることになった。地方の人々は浅右衛門の「温かい」孝養心を褒めたたえ「大味」創製の素麺を温麺と称えたといわれている。やがて片倉家の食膳に上がり、片倉家から仙台様に献上されると、大いに美味を褒められて浅右衛門は味右衛門と改名するように言われた。
まず、なぜ白石温麺を調べようと思ったかというとやはり地元の名産であるというのもあるが、他にも、こけし、和紙などの名産があるのだが、古くから手延べそうめん造りの伝統があり、江戸時代には、親孝行の息子が、身体に優しい手延べ製法の温麺を誕生させたという、深く調べたら何かあるのではないかと思わせ、また私も良く口にする温麺のことをもっと知りたいと思ったからである。
次に白石温麺とはいったい何か?それは小麦粉と塩水から作る油を使用しない乾麺で長さは9センチほど、うどんより素麺の変化したものと考えてもらったらいい。つまり簡単に言うと短くて細さなど若干違う素麺や冷麦である。しかし温麺はいっさい油を使わないで製造することができるという点が他のものとの違いである。現在は、素麺なども油は使われてないのが多い
1、白石温麺のはじまり
白石温麺の歴史は、1581年に伊豆国から鈴木兵庫頭の子孫である嘉茂左衛門が武士の身分を捨てて白石に住み着いたことから始まった。嘉茂左衛門の家には、片倉小十郎景綱が鷹狩りに訪れた際に引越しを勧め1607年に町場に引っ越すことになった。そこで宿を始めたところ勤めて繁盛したため、それ...