『平安時代後期仏教の特質を論ぜよ。』
南都六宗と新京の二宗
平安時代の仏教は、南都六宗に対して創始されていった仏教の宗派である、二宗派が中心である。その一つは最澄が開いた天台宗で、もう一つは空海が開いた真言宗である。そして、これらとともに12世紀頃、良忍が天台宗の教えから独立して、大念佛寺を総本山として開いた融通念仏宗である。
そもそも、当時は古京の六宗とも言われる南都六宗が、国家と強い結びつきを持ち、且つ腐敗が進んでいた。当時の桓武天皇は、平城京からの長岡京への遷都を考えていたが、これも南都六宗の影響力を抑えるためということも含まれていると考えられる。
本来、遷都する際は、諸大寺もそろって都に移るのが通例であるが、桓武天皇が行った遷都の際は、南都六宗の諸大寺は移転せず、政治の中心からも隔絶された。また、新都には新しく羅城門の東西に東寺と西寺を設け、この両寺が都を鎮護するものだと考えられた。
つまり桓武天皇は、奈良仏教を完全につぶそうとしたわけではないが、影響力を最小限に抑え、ともすれば新たな宗派の登場を期待したと考えられる。
最澄と空海の登場
新しい仏教として登場してきたの...