私はこのレポートを書くために、初めて「伊豆の踊子」を読んだ。小学生の頃に漫画化された「伊豆の踊子」を読んだこともあったが、それが少女漫画だった所為もあり「伊豆の踊子」は新潮文庫の裏表紙に書かれたような「美しい青春の譜」であると信じきっていた。しかし、実際に読んでみると、どうしても主人公の身勝手さのようなものが感じられ、「美しい青春の譜」とはとても私には思えなかった。
今回、まず考えたいのは“おふくろ”の主人公に対する態度である。主人公への“おふくろ”の態度は一貫していないように思われるのだ。尋常小学校に通う自分の息子と主人公を重ねて親しみを覚え、大島にある家に主人公を招くなど、主人公に対して悪い感情を抱いてはいない。しかし、女たちが主人公に近付くことを決して良くは思っていない。
「女どもはおふくろがやかましいので」(P27)
二人きりだから、初めのうち彼女は遠くの方から手を伸ばして石を下ろしていたが、だんだん我を忘れて一心に碁盤の上へ覆いかぶさって来た。
「伊豆の踊子」に描かれる悲劇
※ 引用は全て、川端康成「伊豆の踊子」『伊豆の踊子』(新潮文庫 昭和二五年)から抜き出した。
私はこのレポートを書くために、初めて「伊豆の踊子」を読んだ。小学生の頃に漫画化された「伊豆の踊子」を読んだこともあったが、それが少女漫画だった所為もあり「伊豆の踊子」は新潮文庫の裏表紙に書かれたような「美しい青春の譜」であると信じきっていた。しかし、実際に読んでみると、どうしても主人公の身勝手さのようなものが感じられ、「美しい青春の譜」とはとても私には思えなかった。
今回、まず考えたいのは“おふくろ”の主人公に対する態度である。主人公への“おふくろ”の態度は一貫していないように思われるのだ。尋常小学校に通う自分の息子と主人公を重ねて親しみを覚え、大島にある家に主人公を招くなど、主人公に対して悪い感情を抱いてはいない。しかし、女たちが主人公に近付くことを決して良くは思っていない。
「女どもはおふくろがやかましいので」(P27)
二人きりだから、初めのうち彼女は遠くの方から手を伸ばして石を下ろしていたが、だんだん我を忘れて一心に碁盤の上へ覆いかぶさって来た。不自...