日本史概論1 律令国家&中世文化

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    一 大宝律令以後の律令制では、国家が土地を支配し熟田を管理したる。班田収受制によって六歳以上の男女に口分田が与えられた。律令施行後まもなく口分田は不足し、三世一身の法の後、墾田永年私財法が七四三年に成立し、墾田の永年私用を認めることとなった。これは土地の私有制度のようにみえるが、豪族・農民の開墾意欲を刺激して耕地の拡大をはかり、口分田と墾田の全体を国家が把握するという目的があった。

    しかし平安時代に入るころから、造籍・班田はしだいに実施困難となる。課役逃れがその大きな要因で、戸籍に記されない浮浪人も増えた。没落した農民は在地有力者のもとに労働者として吸収され、階層分化がすすむ。国家側も公栄田や官田の設営など、在地有力者である「力田の輩」に経営をゆだね、その収益を行政諸費用にあてる政策をうちだし、中央財政の悪化に対応しようとした。

     その後、中央においては、畿内官田は中央諸官司に分割され諸司田化する。律令制本来の画一的な租税分配における中央集権的財政機構が解体し、重要諸官司ごとの経済基盤がつくられていく。天皇家でも大規模な勅旨田の設定、親王・内親王への賜田などで私的所領を広げ、これら...

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