地誌学概論1オーストラリアと日本

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    資料紹介

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    今回のレポートでは日豪の貿易関係の展開に焦点を絞り、両国の関係をまとめる。

    日豪における本格的貿易関係は1887年、兼松房次が渡豪したところから始まる。コメ輸出の可能性を調査した兼松は、その際に羊毛輸入の可能性を見出し、1889年神戸に豪州貿易のための商社(濠州貿易兼松房次郎商店)を設立した。1890年にはシドニー支店を開設し、外国商館の介在なしに日本人による羊毛直接取引を行った。初期の日豪貿易は、羊毛が両国を結びつける重要な商品であった。

    日本は、日露戦争を契機に軍馬の輸入や軍服用の羊毛の大量輸入も増大させたが、この日本の軍事大国化はオーストラリアの対日警戒心を高める結果となった。ただ貿易関係はさらに発展し、1935年において日本はすでにオーストラリアの輸出の14%、輸入の6%を占める主要貿易相手国となっていた。オーストラリアは日豪通商条約交渉に入るが、日本からの繊維品輸入の増大のため、国内産業保護の意見や英国繊維産業の圧力から、英帝国以外の綿布と人絹を輸入許可制とする政策を1936年に発表し、日本もこれに対して貿易相手の多角化や通称保護法の発動などで報復し、両国の関係は悪化した...

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