「郡県制度」とは、周の「封建制度」に対する秦の統治方法である。周が王の一族や功臣に土地を分け与えて統治させ、世襲制によって領有を認めたのに対して、始皇帝は中国全土の土地・人民を皇帝自らが直接統治し、各地を郡とその下位の県とに分けて中央から派遣した官吏によって治めさせた。しかしこの統治形態は始皇帝以前にも見られ、また始皇帝の死後は実質的に封建制との妥協的な形態をとってもいる。
『史記』秦本記や『左氏伝』によると紀元前7世紀ごろから県が設置されるようになる。特に辺境諸国においてそれが顕著であることから、地方を何らかの方法によって獲得した場合にそこを統治する手段として採用されたと考えられる。
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