はじめに
私がこのテーマについて調べようと思ったのは、この思想が明治の文明開化の根本にあったからではないかと考えたからである。富国強兵、国民皆兵、殖産興業・・・。これらは明治維新によって行われたことであるが、なぜこれらのことを行ったのであろうか。
その理由は日本を発展させ列強の仲間入りをするためである。では何故隣国の中国ではなく、欧米を手本としたのであろうか。
今回、この思想の歴史的背景を追いながら、その成立を調べてみたいと思う。
第一章 岩倉使節団
第一節 岩倉使節団と脱亜入欧の関連性
入欧論について、岩倉使節団の観点から調べてみることにした。幕末から岩倉使節団までに、6回大小の使節団が欧米に行っているが、岩倉使節団は幕末・維新期のうちで最後にして最大の遣欧使節団なのである。
岩倉使節団が出発したのは明治4年11月12日、それは廃藩置県からまだ4ヶ月しかたっていない。まだまだ国内情勢が混沌としている中に、明治新政府首脳の実力者が海外に1年10ヶ月(当初の予定では10ヵ月半)も出かけているのである。
彼らが欧米で何を経験し何を考えたかが帰国後の彼らの政策に大きく影響したと考えたので、この一行をもとに調べていくことにする。
第二節 アメリカにて
使節団の目的は3つあった。一つ目は幕末に結ばれた条約締盟国との友好関係を保つために新政府が国書の捧呈をすることである。二つ目は明治5年が幕末に締結された条約の改正協議期限になるので、その予備交渉をするため。三つ目がこれからの日本を近代国家にするため、そのモデルとしての欧米の制度や文物の調査・研究をするためである。
はじめに
私がこのテーマについて調べようと思ったのは、この思想が明治の文明開化の根本にあったからではないかと考えたからである。富国強兵、国民皆兵、殖産興業・・・。これらは明治維新によって行われたことであるが、なぜこれらのことを行ったのであろうか。
その理由は日本を発展させ列強の仲間入りをするためである。では何故隣国の中国ではなく、欧米を手本としたのであろうか。
今回、この思想の歴史的背景を追いながら、その成立を調べてみたいと思う。
岩倉使節団
第一節 岩倉使節団と脱亜入欧の関連性
入欧論について、岩倉使節団の観点から調べてみることにした。幕末から岩倉使節団までに、6回大小の使節団が欧米に行っているが、岩倉使節団は幕末・維新期のうちで最後にして最大の遣欧使節団なのである。
岩倉使節団が出発したのは明治4年11月12日、それは廃藩置県からまだ4ヶ月しかたっていない。まだまだ国内情勢が混沌としている中に、明治新政府首脳の実力者が海外に1年10ヶ月(当初の予定では10ヵ月半)も出かけているのである。
彼らが欧米で何を経験し何を考えたかが帰国後の彼らの政策に大きく影響したと考えたの...
ありがとございました。