テキスト内の「わが国の美術教育の変遷」(第1章第5節)について、800字程度に大意要約し、その感想として私見を200字程度で述べよ。
我が国において、美術教育が普通教育の中にとりいれられたのは、明治5年の太政官布告による学制頒布以後である。初期の図画教育は鉛筆によるコピーが主であった。明治14年ごろから美術全般に国粋主義の風潮が強まり、毛筆画を臨膜する方法が進められてきた。明治30年代に入ると教育的見地から鉛筆画、毛筆画は考え直すべきだとの意見が強くなった。これに基づいて、文部省では、図画調査委員会を設け、調査研究の結果報告書を出すことになった。明治41年には国定教科書「新定画帳」の編集に着手し翌年完成して図画科は尋常小学校、高等小学校を通じて必須科目となった。
大正期のデモクラシーの時代に入ると、我が国の美術教育にも、新しい運動がおこった。従来の臨画教育の伝統に対して根本から批判を加え、個性と創造を強調した自由画教育の提唱があった。模写を成績とする教育の不自由画では個性的な表現がふさがれてしまう、その欠陥を除くために考えられたのが自由画である、その要点は「模写を成績としないで想...