[東洋経済史] 上海機器織布局の創設過程

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    資料紹介

    ・上海機器織布局の創設過程
    中国最初の近代的綿紡織企業である上海機器織布局は1878年に開設が決まったものの、操業が開始されたのは1890年になってからであった。なぜ12年もの長い歳月を経たのであろうか。これには1870年代の中国に存在した「洋布自織論」の事実認識に誤りがあったことが、自覚され是正されないままに織布局が創設されてしまったことに大きな要因があると考えられる。「洋布自織論」とは中国の豊富な綿花を原料とし、欧米の紡織機をしようして洋式綿布を生産し外国綿布の輸入を阻止するべきだという論説で、当時中国の日刊新聞であった「申報」により論説された。当時中国にはイギリス綿布市場が形成されており、それにより中国は多大な金額を払っていた。なので、中国が綿紡織工場を開設し、そこで洋式綿布を生産するようになれば、輸入による支出は減り、機械制綿紡織業を経営することの利益は必ず大きいと考えられていた。しかし、この「申報」の論説には明らかに事実を見誤っている部分があった。第一に「申報」ではイギリスの綿布の原料である綿花は中国のものと論じられていたが、イギリス綿布の主な原料はアメリカの綿花であった。繊維が長くて細いアメリカ綿花によってのみ、高番手の綿糸の生産が可能であり、高番手綿糸を原糸としてのみ、イギリスの高級な薄地綿布の生産が可能なのであった。この誤りは1877年以降に訂正されたが、少なくとも中国の官僚や紳商の間に、中国で輸入外国綿布と同一の綿布を生産することが中国綿花を使用することで容易に行なえ、しかもそれが莫大なる利益を生むものであるかような幻想を抱かせることになった。

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    東洋経済史
    ・上海機器織布局の創設過程
    中国最初の近代的綿紡織企業である上海機器織布局は1878年に開設が決まったものの、操業が開始されたのは1890年になってからであった。なぜ12年もの長い歳月を経たのであろうか。これには1870年代の中国に存在した「洋布自織論」の事実認識に誤りがあったことが、自覚され是正されないままに織布局が創設されてしまったことに大きな要因があると考えられる。「洋布自織論」とは中国の豊富な綿花を原料とし、欧米の紡織機をしようして洋式綿布を生産し外国綿布の輸入を阻止するべきだという論説で、当時中国の日刊新聞であった「申報」により論説された。当時中国にはイギリス綿布市場が形成されており、それにより中国は多大な金額を払っていた。なので、中国が綿紡織工場を開設し、そこで洋式綿布を生産するようになれば、輸入による支出は減り、機械制綿紡織業を経営することの利益は必ず大きいと考えられていた。しかし、この「申報」の論説には明らかに事実を見誤っている部分があった。第一に「申報」ではイギリスの綿布の原料である綿花は中国のものと論じられていたが、イギリス綿布の主な原料はアメリカの綿花...

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