『とりかへばや物語』は京と吉野と宇治で物語が展開する。『とりかへばや物語』の中で、宇治は女中納言が出産し、男から女へと変貌をとげ、失意の時期を送る土地とて描かれている。そこで、『とりかへばや物語』の中で何故、宇治の地が選ばれたのか、当時の宇治の地への考え方や『源氏物語』からの影響を踏まえながら考察を進めていきたいと思う。
【宇治という土地】
実際の宇治という土地は、平安貴族にとって別荘地として認識されていた。しかし、別荘地といっても、気軽に京と行き来できる土地ではなく、京から宇治への行程は治安が悪く、怪奇悪鬼が横行すると考えられており、宇治自体に「隔離の土地」(注一)というイメージが付着されていたようだ。これは『とりかえばや物語』にも反映されていると考えられる。
一方、文学では宇治という土地は喜撰法師の和歌とともに享受されてきた。
我が庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
(『古今和歌集』九八三)
「世を憂」と「宇治山」とを掛けたものとして有名であり、その後の和歌や物語に大きな影響を及ぼしている。『歌ことば歌枕大辞典』によると「憂し」とは物事が思うようにならないために鬱屈する気持ちを表す」言葉であり、「『憂し』と思うことが、人と人との関係や場に自分が定まらないという不安定感・浮遊感を感じていることである」と言及している。さらに喜撰法師の歌に対して、「地名『宇治』に『憂し』をかけて、世間を厭離して隠棲している」と指摘している。
『とりかへばや物語』と宇治
『とりかへばや物語』は京と吉野と宇治で物語が展開する。『とりかへばや物語』の中で、宇治は女中納言が出産し、男から女へと変貌をとげ、失意の時期を送る土地とて描かれている。そこで、『とりかへばや物語』の中で何故、宇治の地が選ばれたのか、当時の宇治の地への考え方や『源氏物語』からの影響を踏まえながら考察を進めていきたいと思う。
【宇治という土地】
実際の宇治という土地は、平安貴族にとって別荘地として認識されていた。しかし、別荘地といっても、気軽に京と行き来できる土地ではなく、京から宇治への行程は治安が悪く、怪奇悪鬼が横行すると考えられており、宇治自体に「隔離の土地」(注一)というイメージが付着されていたようだ。これは『とりかえばや物語』にも反映されていると考えられる。
一方、文学では宇治という土地は喜撰法師の和歌とともに享受されてきた。
我が庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり
(『古今和歌集』九八三)
「世を憂」と「宇治山」とを掛けたものとして有名であり、その後の和歌や物語に大きな影響を及ぼしている。『歌ことば歌枕大辞典』によると「憂し」とは物...