日本文学史~羅生門を読んで~
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、餓死をする体なのだ」、この言葉には物事の善悪を越えて「現実」というものが詰まっていると私は思う。物語に登場する下人は常に右頬の大きなニキビを気にしているが、最後には右頬から手を離し、悪事に手を染める。このニキビは下人にとって正義感の強い青年としての象徴的なもので、それから手を離すことは、「悪に対する反発」を捨てることにつながる。老婆が言った一言は下人を悪の道に歩ませたが、これがはたして本当に悪事かどうかは断定できない。辞書的な定義で言えば、正義とは人の道にかなっていて正しいことを言う。ということは「ひと」を殺めること、は当然正義とは程遠い。そしてその「ひと」には当たり前ながら自分も含まれる。正義を貫き通すとこが必ずしも正義とは限らない、逆説的ではあるがこれが「現実」である。老婆の「わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、餓死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていたことも悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、餓死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの...