「司馬遷の生涯について。」
司馬遷は、司馬という姓、遷という名の他に子長という字を持つ。生まれは左馮翊夏陽(竜門)であり、ここは黄河盆地の中心部にあって、渭河流域から北は直隷省の宣化府、河南省の北部から黄帝、尭、舜、禹という最古の伝説にまつわる開封に及ぶ。司馬遷は古代の帝王達の地に生きたことによって、歴史への興味を育んでいったとも考えられる。『漢書』の編者である班固もまた渭河の岸、陝西省の西安府の人であることも注目に値する。
司馬遷は10歳の時には古代の主要な書物を暗記しており、父から古典を学び、また董仲舒らに師事するなどしている。
そして20歳の前後、南の淮河と揚子江の流域を旅行する。この頃の体験は『史記』の随所で鮮やかに描かれている。南では揚子江を渡り、姑蘇台(『史記』92巻)、会稽山(『史記』130巻)、九疑山(『史記』130巻)を回って、帰路は沅江・湘江(『史記』130巻)、屈原(『史記』84巻)の古跡、九江(『史記』2巻)、魯(『史記』47巻)、箕山(『史記』61巻)、鄱・薛・彭城(『史記』130巻)、そして楚(『史記』78巻)と梁、すなわち湖南省の南部を通って黄河に沿う...