我々人間は誰しも言葉を話すことができる。生まれてきた赤ん坊は、周囲の大人たちの会話やさまざまな音や周囲の環境に触れることによって自然と言葉を習得していく。私のように日本人で両親ともに日本語をしゃべるような人間は日本語を習得するだろうし、アメリカに生まれ、両親ともに英語をしゃべるような環境で生まれ育った人は英語を覚えるだろう。このように我々人間が自然に身につけ、現在も何の考えもなしに使用している言語のことを母語(第一言語)と言う。第一言語は自然と身につくものだとはいったが、それはあくまで普通の人の場合であり、第一言語を習得するためにはいくつかの条件が必要である。その条件とは、言語(母語)に触れる機会があるということである。ごく当たり前のことであるが、この条件の効力は大きい。生まれたての赤ちゃんは、なんにも知らない真っ白な状態であるがゆえに、周囲の環境が赤ちゃんのこれからに大きな影響力を及ぼすのである。とりわけこの条件は親の力によるところが非常に大きい。昔世間一般をにぎわわせた狼少年(人間ではなく狼によって育てられた子供のこと)がいい例である。少年は狼に育てられたため、人と接する機会がなかった。よって普通ならば第一言語を習得しているであろうはずの年齢になっても、人間の言葉を話すことができなかったのである。このような特例もあるのだが、一般的には人は自然と言語を習得する。しかし、我々は中学や高校に入ると第二言語として英語を勉強するがその習得は容易ではない。母語であったら小学校に入学するくらいまでには一通りのことは話せるようになっているのだが、同じく六年間英語を勉強してきた私は英語のほうはちんぷんかんぷんである。このことでも分かるように、人間の言語習得の能力はある時期までしか働かない。赤ん坊のころから数年間の間だけなのだ。
人間における第一言語、第二言語の習得について
我々人間は誰しも言葉を話すことができる。生まれてきた赤ん坊は、周囲の大人たちの会話やさまざまな音や周囲の環境に触れることによって自然と言葉を習得していく。私のように日本人で両親ともに日本語をしゃべるような人間は日本語を習得するだろうし、アメリカに生まれ、両親ともに英語をしゃべるような環境で生まれ育った人は英語を覚えるだろう。このように我々人間が自然に身につけ、現在も何の考えもなしに使用している言語のことを母語(第一言語)と言う。第一言語は自然と身につくものだとはいったが、それはあくまで普通の人の場合であり、第一言語を習得するためにはいくつかの条件が必要である。その条件とは、言語(母語)に触れる機会があるということである。ごく当たり前のことであるが、この条件の効力は大きい。生まれたての赤ちゃんは、なんにも知らない真っ白な状態であるがゆえに、周囲の環境が赤ちゃんのこれからに大きな影響力を及ぼすのである。とりわけこの条件は親の力によるところが非常に大きい。昔世間一般をにぎわわせた狼少年(人間ではなく狼によって育てられた子供のこと)が...