<はじめに>
半期この講義を受けて、自分の「発達」「障害」に対する認識が変化したかと問われると、正直答えづらい。確かにAD/HD・LDについての知識や、構造、それに対する対処の仕方は想像以上のものがあったが、概念となると、どうもピンとこない。講義の内容はAD/HD・LDの原因から推測される様々な教育形態についての話がほとんどであった。言ってしまえば実際に体験してみなければ、どうとも捉えにくい問題ではある。しかし、その考え方は私の一番嫌いなものであるので、ここではそんなことは伏せておく。私は発達の障害を持っている人とそうでない人が同じだとは思わない。明らかに学習能力に差があり、学習方法、それに要する時間などは一般人とは異なる。このことは無視できない事実である。ただ同じ人間であるということは言うまでもない。この講義の良さはその定義がしっかり定まっており、その中で進めて行く学習方法について徹底的な考察・過程・結果が理解できるというところにある。さて、この講義の中で私が一番興味を持った、LDの言語の理解・学習について私の見解を述べてみたい。
<学習と記憶について>
学習(learning)と一言で言うが、その分野は広い。行動における記憶と学習の研究は心理学や哲学にも広がっている。ここでは細胞学、生物学的に検討してみる。学習と関係の深い語に記憶(memory)がある。記憶というものにも様々な定義があるがここでは、経験に伴う情報の保存としておく。記憶の形にはいくつかの型があり、主に陳述記憶(declarative memory)と非陳述記憶(no declarative memory)という分類がある。陳述記憶は説明記憶(explicit memory)と呼ぶこともあり、事実や出来事の記憶で、動物が経験した対象の出来事とその間の関係について作られる。非陳述記憶とは技術の習得や条件付けなどの記憶で手続き記憶(procedural memory)という言い方もされる。
学習と記憶
<はじめに>
半期この講義を受けて、自分の「発達」「障害」に対する認識が変化したかと問われると、正直答えづらい。確かにAD/HD・LDについての知識や、構造、それに対する対処の仕方は想像以上のものがあったが、概念となると、どうもピンとこない。講義の内容はAD/HD・LDの原因から推測される様々な教育形態についての話がほとんどであった。言ってしまえば実際に体験してみなければ、どうとも捉えにくい問題ではある。しかし、その考え方は私の一番嫌いなものであるので、ここではそんなことは伏せておく。私は発達の障害を持っている人とそうでない人が同じだとは思わない。明らかに学習能力に差があり、学習方法、それに要する時間などは一般人とは異なる。このことは無視できない事実である。ただ同じ人間であるということは言うまでもない。この講義の良さはその定義がしっかり定まっており、その中で進めて行く学習方法について徹底的な考察・過程・結果が理解できるというところにある。さて、この講義の中で私が一番興味を持った、LDの言語の理解・学習について私の見解を述べてみたい。
<学習と記憶について>
学習(learn...