ここでは東京豊島区のママさんバレーボールの発展についてみていきたい。ここでいう「発展」は組織の整備や、大会の行われる活動範囲の拡大などの質的高度化の側面を指す。?において、豊島区バレーボール連盟発行の記念誌から、ママさんバレーボールに関係する事項について時系列的にまとめ、その活動範囲の拡大や組織化の過程についてみていく。?では、それらの質的高度化という側面からみた豊島区のママさんバレーボールの発展に対し、考察を行いまとめていきたい。
? 豊島区のママさんバレーボールの歴史
まず豊島区のママさんバレーボールがいつ、どのように始まり、如何なる発展をしてきたのか見ていきたい。このことについては、豊島区バレーボール連盟発行の2冊の記念誌 からママさんバレーボールに関する内容を、時系列でまとめることで以下に記述する。
昭和45年 第50回連盟大会、家庭婦人種目採用
10月18日豊島体育館で開催された第50回連盟大会で初めて正式の大会種目として母親之部の名称で家庭婦人バレーボールを採用することになった。
昭和46年 家庭婦人部に名称変更
第24回都民大会豊島区代表チーム選考を兼ねて春季区民大会は4月25日豊島体育館で開催された。なおこの大会より母親之部を家庭婦人部と改称した。
昭和47年 家庭婦人・リーグ戦方式確立
昭和45年の第50回大会より採用された家庭婦人部の大会方式はトーナメント又はリーグ戦と大会ごとにまちまちであったが、第53回大会より水曜日を7日間使用してのリーグ戦方式を採用した。尚全員参加の開会式も行う。
家庭婦人2部制採用
第54回連盟大会家庭婦人部は初めて2部制を採用し、10月2日、6日、7日、13日、14日、20日、21日の8日間豊島体育館で開催された。
城北選抜家庭婦人大会
城北バレーボール連盟主催の第1回城北選抜家庭婦人バレーボール大会が北区体育館で開催された。豊島区、板橋区、北区、練馬区から代表13チームが出場した。
豊島区のママさんバレーボールの発展
ここでは東京豊島区のママさんバレーボールの発展についてみていきたい。ここでいう「発展」は組織の整備や、大会の行われる活動範囲の拡大などの質的高度化の側面を指す。①において、豊島区バレーボール連盟発行の記念誌から、ママさんバレーボールに関係する事項について時系列的にまとめ、その活動範囲の拡大や組織化の過程についてみていく。②では、それらの質的高度化という側面からみた豊島区のママさんバレーボールの発展に対し、考察を行いまとめていきたい。
① 豊島区のママさんバレーボールの歴史
まず豊島区のママさんバレーボールがいつ、どのように始まり、如何なる発展をしてきたのか見ていきたい。このことについては、豊島区バレーボール連盟発行の2冊の記念誌 からママさんバレーボールに関する内容を、時系列でまとめることで以下に記述する。
昭和45年 第50回連盟大会、家庭婦人種目採用
10月18日豊島体育館で開催された第50回連盟大会で初めて正式の大会種目として母親之部の名称で家庭婦人バレーボールを採用することになった。
昭和46年 家庭婦人部に名称変更
第24回都民大会豊島...