上座部仏教が残った理由について

閲覧数2,492
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    大乗仏教の登場は、その名の示すとおりである。全ての人を救う目的に作られている。もともと上座部仏教は修行至上主義であり、修行をした者が菩薩になれるとされている。しかしその修行自体が当時のエリート層の存在であり、つまり一般人に触れられる者ではなかったと言う事だ。それに反発、つまり庶民でも全ての人が救われる事を目的として活動された、一種の思想運動とも言える。
    では、大乗仏教と上座部仏教について、その意味合いの違いは何処にあるか。やはり、修行の有無である。修行すなわち、戒律が上座部仏教には存在し、その戒律こそが仏陀に近くなれるものとされる。この思想に置いては、大乗仏教自体が釈迦から遠ざかるであると考えるゆえに、固執として上座部仏教が残ってしまう。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    ■■■■■学第■回出題■レポート
    ■学部■■■■■■学科■年 名列■■ 学籍■■■■■■
    ■■ ■
    上座部仏教が残った理由について
    あまりビデオの内容とは関連がないかも知れないが、私が疑問に思った事は、何故この
    ような仏教が依然として残り続けているのかであった。現代人の私たちの感覚では、教え
    自体非科学的のようであるし、修行の様子を見ていてもさして意味のある行動のようには
    思えない。それは現代の科学の性ではあるが、それにもかかわらず、何故残ったのか。銜
    えて、大乗仏教も出来、時代のニーズで言えば、大乗仏教が広まって至極自然の用に感じ
    るが、しかし何故スリランカでは上座部仏教が残ったのか...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。