海に囲まれた日本にとって、郵便や荷物、人を運送するための船は欠かせないものであり、日本の発展には、自分で自国の荷を運送することが必要であった。
しかし、開国当初の日本の海運、小型帆船主体の船会社では、外国海運会社に太刀打ちできなかったのである。
1.日本郵船会社の創立
①市場を独占する外国海運会社との競争
1853年ペリー提督の来日を契機に、日本は約200年に及ぶ鎖国を解いた。この結果、アメリカのパシフィック・メール社、イギリスのP&O社など、外国の海運会社が大型の蒸気船を使用し日本向けの航路を開設、更には、日本国内主要航路に進出し、日本の沿岸航路を独占し始めた。
海に囲まれた日本にとって、郵便や荷物、人を運送するための船は欠かせないものであり、日本の発展には、自分で自国の荷を運送することが必要であった。
しかし、開国当初の日本の海運、小型帆船主体の船会社では、外国海運会社に太刀打ちできなかったのである。
そんな中、1870年に旧土佐藩士・岩崎彌太郎が土佐藩の廻漕業・九十九商会を継承し、民間による近代海運会社としての活躍を始める。三菱グループの創始者となる人である。
一方、明治政府によって1870年に設立された廻漕会社は度々経営危機に陥っていた。1875年ついに経営が行き詰ると、政府はその解散を決定、廻漕会社に代わって、三菱汽船会社(旧九十九商会)に補助金を支払い、国内主要航路と上海航路の開通を命じた。三菱汽船会社は、大久保や...