「デモクラシーと国民国家」に収められている論文の著者福田歓一がそれを書き起こす背景として、領域、主権、国民という近代国家論の失権、それにともない新たな国家論を復権しようとする動きが様々な領域で散発しているという状況があった。一度失墜してしまった国家論は科学的には不確かな部分があったが、それは近代国家一般に通ずる問題を整然と説明できるという便利な側面を持っていたため、それが失われたことにより多大な不便を招くことになった。そこで、旧来の国家論に代わる新たな政治社会論を生み出す必要があった。しかしそれは単なる古典国家論の復興ではない。なぜなら今日おこっている国家の名と結び付けられている問題は古代のそれに比べ、より多様かつ重大なためである。
そこで著者は現在国家の名と結びついて問われている様々な問題それ自体を、おさえるという予備作業にとりかかるべきだと考えている。
そしてその作業を通して、著者の考える国民国家の原理が理解されるであろう。
現在、およそすべての人類が国民国家を政治単位としている。そんな国民国家というものが政治社会の一つの構成様式としてあらわされるようになったのは4,5百年前のことであり、また国民国家が爆発的に増加したのは植民地解放から独立した国家ができる時期である。つまり国民国家とは人類が古代から営んできた政治活動の歴史の中では新しく特殊なものだと言える。
古代の政治活動はギリシアのポリスや、ローマのキヴィタスなどの小規模の単位で営まれてきた。この中では自由民のすべてが完全に平等に公職に就くべきであり、政治活動も自由民の全員で行うべきであると考えられていた。このことからこのような政治社会の単位は国民の総体、人的共同体であるとされる。これを著者は国家pcとした。
一方近代のヨーロッパにおいて政治社会の単位は絶対主義によって成立した主権国家であった。この主権国家は国家pcとは違い、人間の共同体という観念ではなく、土地、領域、および人民を権力により支配し統一したものであった。その支配の権力機構として官僚制があり、また人民の抵抗を無意味化するために暴力の独占が行われ常備軍が設立された。
人間の共同体ではないという観念を裏付けることとして、絶対君主により支配されていた国家同士はその国の継承(相続と言い換えられる)を争って戦争を行っていたという事実がある。つまり、主権国家は絶対君主の私有物であった。著者はこの主権国家を国家Sとした。
ところでこの主権というものは領域のなかで他者から制約されない権利であり、他者に対して形式的には完全に平等ということになっている。そこでより高い権威を認めないということは紛争解決の手段は戦争を以てするほかないということになる。つまり主権国家をお互いに認めるということはその主権国家間において戦争が制度化されたということになる。これが現代でも起こっている戦争の問題に深くつながることになっている。
主権国家を成立させた絶対主義は国民の革命により転覆、克服されることとなった。これにより絶対君主に代わり国民が国家の主権を担うという国民国家が誕生した。しかし国民国家になったけれども、主権国家体制というものがなくなったわけではなく、主権の担い手が絶対君主から国民に代わったにすぎなない。つまり国民国家も引き続き絶対主義時代の国家を政治社会の単位としているのである。そのため、国民国家には暴力の独占として警察や常備軍、また官僚制が存在する。
このように国民国家の外枠は国家Sに由来している。しかし、国民国家の内容までもが国家Sではない。国民国家が国家Sを引き継ぎつつも内容に関して変化をくわえる結果に到ったのは民主主義による革命を経たためであった。国民国家とういう政治社会は民主主義を採用することにより国家は国民の同意のもとに正当な権力を持ちうる人的団体となった。これは国家PCの性質と似ているがそれとは決定的な違いを有する。それは政治社会の規模の違いである。国家PCにおける政治社会の単位はポリスという小規模なものにすぎない。国家PCにおいて採用されていた民主主義は自由民のすべてが公職に就くというものであるが、これは小規模であるからうまくいくものであり、主権国家のような規模には適さない。そこで貴族や国民など利益団体の代表を構成員とする議会により政治を運営するという方法がとられた。
さらに、古代の民主主義の構成員はポリスという共同体の自由民であった。つまり共同体が前提とされていたが国民国家においては共同体という前提はもたない。近代の民主主義において前提とされるのは政府と国民の同意である。このように国民国家は本来原理的には抽象的なものだと言える。
このような抽象的な内容をもつ国民国家はその外枠に絶対主義から引き継いだものを採用したのである。
こうして国家は君主制による支配機構から人的共同体へと変化を遂げる。この人的共同体としての国家に具体的内容を与え、特定の地域の特定の人間集団として、その意味内容を満たしたものはネイションの概念と呼ばれるものであった。このネイションは人間生活の現実的必要と情緒的要求とを満足するものとして観念された。そしてこのネイションという概念がナショナリズムというイデオロギーを生む要因となったと考えられる。
現代はほとんどの人間がいずれかの国家に帰属している。そしてそれが正常でありどの国家にも帰属していないという状態は異常であるとみなされる。実際に紛争や迫害などの理由で母国を追われどの国家にも帰属することができない難民問題は深刻であり、いち早く解決されなければならない問題であることは疑いようがない。
しかし「正常化」を求め国民国家を追い求めた結果悲惨な状況を生んでしまったという例も存在する。その例のひとつとしてイスラエルがあげられる。
この国はユダヤ民族の国家として1948年にパレスチナの地に建国されたが、先住していたアラブ人との間で領土に関する紛争を重ね、多くの犠牲者と難民を生み出してしまった。
そもそもイスラエルの興りはヨーロッパの国家において反ユダヤ主義により排除されたユダヤ人が彼らの「聖地」としてのイスラエルへ移住しようという運動であるシオニズムを契機とする。
パレスチナの地でユダヤ人たちがイスラエルという国家を建国するということは、しかしながら皮肉にも、ヨーロッパにおいて自分たちが経験したように、新たな排除を生み出してしまったのである。そしてこの問題はいまだ解決の糸口をみないほど混沌としている。
ヨーロッパに興った国民国家はこのように人類の包括と排除とを繰り返してきた。なぜこの問題は解消されないのだろうか。それは国民国家には国境があり、特定の人間が国民となることが半ば意図的に決められているからであると考えられる。特にヨーロッパなどでは個人は国境のようにはっきりと自らのナショナリティやアイデンティティを判断できない。それにもかかわらず国民は法律で定められている。しばしばそれは政治的に決められる。国民が民族的実体をもつというのはフィクションにすぎない。
したがってヨーロッパの国民国家原理を超える、新たな原理もしくは普遍的な原理を生みださなければならない。
EUなどは国民国家の相対化の例として出されるが、普遍的な原理の一つの試みであるとも考えられる。
こうして歴史を翻ってみると政治単位を模索し形成していく先駆者はやはりヨーロッパなのであろう。
○参考文献:2009『デモクラシーと民主主義』福田歓一(岩波現代文庫)
2008『ユダヤとイスラエルのあいだ』早尾貴紀(青土社)