日本社会の豊かさ一考察−キリスト教倫理観をめぐって−

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    資料紹介

    1章はじめに
     戦後、日本は高度経済成長期を経て豊かになったと言われている。実際、GDPは世界第2位まで登りつめ、経済大国日本とまでいわれるようになった。日本人の生活は、衣食住に困ることはなく、街には多くの娯楽施設が立ち並ぶ。そして、限りない消費を続ける人々。しかし、少し視点をずらせば、相次ぐ企業不祥事、青少年の異常な犯罪、離婚率の上昇、先進国の中ではトップの自殺率、と「豊かさ」とは正反対をいくようなことの多さに驚く。果たして、これで本当に豊かといえるのだろうか。一体、真の「豊かさ」とは何であろうか。近年、「豊かさ」には経済的なものと精神的なものがあるといわれており、少しずつ後者の必要性について叫ばれるようになってきた。本論文は、日本社会の「豊かさ」についてキリスト教倫理観を通して論じる。そして、キリスト教倫理が信者だけが共感する狭く閉鎖的なものでなく、今の日本社会にとって必要であるということについても同時に論じていきたい。
    2章 「豊かさ」とは
    1節 日本が求める「豊かさ」
     「豊かさ」とは何かと聞かれて、何を思い浮かべるだろうか。有名店の高級料理を毎日のように食べることであろうか、ベンツやフェラーリなどといった高級な外車に乗ることだろうか、はたまた今流行の「セレブ」と呼ばれる人たちのような生活をすることであろうか。「豊かさ」にも、様々な基準があり千差万別の価値観がある。そして、それは置かれている境遇によって違う。例えば、食べるのが精一杯の暮らしならば、毎日食べる心配をしなくてもすむ食料の確保が豊かになることだ。また、学校に行きたくても学費が払えないならば、その学費を得ることが豊かになることだ。つまり、生きていくうえで必要とするもの、またほしいものが得られるとき、人は豊かになったというのだ。

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    日本社会の豊かさについて一考察
    ―キリスト教倫理観の必要性をめぐってー
    目次
    はじめに
     
    「豊かさ」とは
    1節 日本が求める「豊かさ」
    2節 日本がおいてきたもう一つの「豊かさ」
    3章 企業不祥事にみる「貧しさ」
    1節 なぜ企業不祥事はおこるのか  
     2節 カルト国家「日本」
     3節 カルト気質が生んだ高度経済成長
      4節 耐震偽造問題にみる「貧しさ」
      5節 みずほ証券不祥事にみる「貧しさ」
    4章 自殺に見る「貧しさ」
     1節 なぜ自殺するのか
    自殺は「普通」だから罪ではないのか
    3節 青少年を取り巻く「普通」アリ地獄
     5章 結論
     
    1章はじめに
    戦後、日本は高度経済成長期を経て豊かになったと言われている。実際、GDPは世界第2位まで登りつめ、経済大国日本とまでいわれるようになった。日本人の生活は、衣食住に困ることはなく、街には多くの娯楽施設が立ち並ぶ。そして、限りない消費を続ける人々。しかし、少し視点をずらせば、相次ぐ企業不祥事、青少年の異常な犯罪、離婚率の上昇、先進国の中ではトップの自殺率、と「豊かさ」とは正反対をいくようなことの多さに驚く。果たして、これで本当に豊か...

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