パウロの律法理解
—聖書学演習19を通して—
パウロと言えば異邦人伝道や信仰義認が思い起こされるであろう。パウロはガラテヤ書2章16節「・・・人は律法の実行ではなく・・・イエス・キリストへの信仰によって義とされる・・・。」やロマ書3章28節「・・・人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」と言っている。この信仰によって義とされるという論理は律法を行って来たユダヤ教徒だけに神の救いが訪れるのではなく、異邦人たちにも神の救いは向けられている事を意味している。つまり彼の異邦人伝道の論拠ともなるのである。しかし、この律法による行いではなく信仰による義を強調し、律法を行って来たユダヤ人だけでなく、律法を知らない異邦人をも救われるとした場合、神がモーセを通して与えられた律法はどのような意味を持つのであろうか。このパウロの律法理解について、授業を振り返り、考えていきたい。
異邦人たちがパウロの説く、キリスト教に改宗するにあたり、パウロの言った「キリストへの信仰によって義とされる」という言葉は力強かったのであろう。異邦人にとってユダヤ教の男子の割礼を含む厳格な律法...