小泉信三は慶應義塾の元塾長や今上天皇の皇太子時の教育係(東宮職参与)等、教育者として名高いが、本職は経済学者・政治学者であり、戦前においては新古典派、特にリカードの研究や社会思想史の研究が有名で、戦後塾長退任ののち、論壇において活発な文筆活動を展開した(1)。小泉の戦後における論調の中では、敗戦直後から展開された共産主義批判と、講和問題における多数講和論(単独講和論)が有名で、それぞれ論壇でも注目され、また現実の政治や社会にも影響を及ぼしている。講和問題については当時から全面講和論との対峙という形の「講和論争」という観点でかなり取り上げられている(2)が、その一方で、講和問題の理論的前提ともいうべきものであり、また当時の人々に広く読まれた共産主義批判については、その内容や意義等について、研究や評価はさほどされていなかったのが現状である。特に、冷戦終結、ソ連崩壊といった共産主義諸国の破綻を目の当たりにした現在から考えると、すでに戦前からマルクス理論の問題点を指摘し、戦後も一貫してマルクス主義理論とソ連共産主義を批判しつづけた小泉の慧眼については、あらためて注目されるべきであろう。
本稿においては、小泉の共産主義批判、特にその最も広く読まれ、代表作とされている『共産主義批判の常識』を中心に、それに続くいわゆる「共産主義批判三部作」や、それに対する論評・反論等の論文を軸として、その中で当時の時代状況から考えられる小泉の気概、そしてなぜ「共産主義批判」というその主張に至ったのかという思想背景について考えたい。そして、最後には小泉の戦後共産主義批判の意義にまで触れたい。
小泉信三の戦後共産主義批判について
―『共産主義批判の常識』を中心に―
一 はじめに
二 小泉信三という人物
三 『共産主義批判の常識』について
四 『共産主義批判の常識』執筆に至る背景
(一)小泉の思想背景
(二)当時の時代背景
(三)まとめ
五 小泉信三の戦後共産主義批判の意義
(一)小泉の論点
(二)小泉批判について
(三)まとめ
六 むすび
一 はじめに
小泉信三は慶應義塾の元塾長や今上天皇の皇太子時の教育係(東宮職参与)等、教育者として名高いが、本職は経済学者・政治学者であり、戦前においては新古典派、特にリカードの研究や社会思想史の研究が有名で、戦後塾長退任ののち、論壇において活発な文筆活動を展開した(1)。小泉の戦後における論調の中では、敗戦直後から展開された共産主義批判と、講和問題における多数講和論(単独講和論)が有名で、それぞれ論壇でも注目され、また現実の政治や社会にも影響を及ぼしている。講和問題については当時から全面講和論との対峙という形の「講和論争」という観点でかなり取り上げられている(2)が、その一...