教育原論 第2設題 ジョン・ロックにおける子どもの教育論

閲覧数2,872
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、
    特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ』
    【はじめに】
     人間の態度や才能のちがいは何よりも教育に負うところが大きいことを述べ、子どもの精神を形成すること、および一生涯に影響を及ぼすようなことについては早くからその方針を定めることに重大な関心を持つべきだとロックは『教育論』の中で述べている。
    彼はイギリスのジェントルマン階級の中で家庭教師としての長い経験を積む中で、世間を生きる現実的で本質的なモラルの教育を主張した。ロックの生涯を振り返り、彼の説く教育論、主に習慣形成や賞罰法について考察する。
     【ジョン・ロックの生涯について】
    1632年、ジョン・ロックはイングランド南西部サマセット中部のリットンで生まれ、ブリストルに近いペンスフォードで育った。父ジョン・ロックは、小さな地主で弁護士をし、母の実家は製革業者であり裕福な家の出であった。母はロックが22歳の時に、父は29歳の時に、ただひとりの弟が31歳のときにそれぞれ他界し、以後

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    『ジョン・ロックにおける子どもの教育論、
    特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ』
    【はじめに】
     人間の態度や才能のちがいは何よりも教育に負うところが大きいことを述べ、子どもの精神を形成すること、および一生涯に影響を及ぼすようなことについては早くからその方針を定めることに重大な関心を持つべきだとロックは『教育論』の中で述べている。
    彼はイギリスのジェントルマン階級の中で家庭教師としての長い経験を積む中で、世間を生きる現実的で本質的なモラルの教育を主張した。ロックの生涯を振り返り、彼の説く教育論、主に習慣形成や賞罰法について考察する。
     【ジョン・ロックの生涯について】
    1632年、ジョン・ロックはイングランド南西部サマセット中部のリットンで生まれ、ブリストルに近いペンスフォードで育った。父ジョン・ロックは、小さな地主で弁護士をし、母の実家は製革業者であり裕福な家の出であった。母はロックが22歳の時に、父は29歳の時に、ただひとりの弟が31歳のときにそれぞれ他界し、以後彼は独りきりになる。
    ロックはウエストミンスター・スクールに入学、5年後に卒業してオックスフォードのクライスト・チャーチに...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。