映画の理論というシンプルな題名からもわかるようにこの本は映画について論じているのであるが、著者の理論は今までにない斬新さを帯びている。たとえば、映画は新しい芸術の一分野であると著者は言っている。それであるのに人々は気がつかず、人類が見たことがなかった新しい芸術の誕生の瞬間をみすみす見逃してしまった。
またこの本が映画を見る人のための本である。映画を見る全ての人たち、学者や映画研究者だけではなく膨大な数の一般人に向けての言葉であるためか、斬新なすばらしい理論であるがわかりやすい文体で書かれており説得力がある。しかしそれだけではなくいい文章で書かれているためという理由もある。
何よりもまず第一章では映画について理論を学ぶ必要性が挙げられている。日本でも最近では映画の研究がされているが、一番映画を見る普通の人々にはどうだろうか。彼らには絵画や文学を学ぶことはあるにしても映画の見方をまなぶといったことはない。このことは著者の時代と全く同じ状況である。映画は未だただ見る物である。なぜ必要に迫られているのかと言えば、この本の第一文で分かる。「映画芸術は、他のいかなる芸術よりも一般大衆の心を大きく左右する力をもっている。」からである。また新しい芸術であるからだ。
第2章からは映画の歴史が述べられている。歴史と言うにはまだ新しすぎるかもしれないが。さて映画という物が誕生したのはいつだろうか、それは1895年にフランスのリュミエール兄弟がカメラを開発したときだろうか。いや違うようである。ヨーロッパでは従来の固定観念にとらわれていてこの新しい芸術の表現形式を発展させなかった。映画が誕生したのはカメラが発明されてから10か12年後の20世紀初頭のアメリカであった。
それまではもっぱら活動写真として利用された。次に演劇を撮影しそれを再生するのに使われるようになった。
映画芸術の可能性
映画の理論というシンプルな題名からもわかるようにこの本は映画について論じているのであるが、著者の理論は今までにない斬新さを帯びている。たとえば、映画は新しい芸術の一分野であると著者は言っている。それであるのに人々は気がつかず、人類が見たことがなかった新しい芸術の誕生の瞬間をみすみす見逃してしまった。
またこの本が映画を見る人のための本である。映画を見る全ての人たち、学者や映画研究者だけではなく膨大な数の一般人に向けての言葉であるためか、斬新なすばらしい理論であるがわかりやすい文体で書かれており説得力がある。しかしそれだけではなくいい文章で書かれているためという理由もある。
何よりもまず第一章では映画について理論を学ぶ必要性が挙げられている。日本でも最近では映画の研究がされているが、一番映画を見る普通の人々にはどうだろうか。彼らには絵画や文学を学ぶことはあるにしても映画の見方をまなぶといったことはない。このことは著者の時代と全く同じ状況である。映画は未だただ見る物である。なぜ必要に迫られているのかと言えば、この本の第一文で分かる。「映画芸術は、他のいかなる芸術よりも...