. 日本考古学史のうち、明治期における研究の特徴とその成果と課題について具体的事例をあげて述べる。
○日本考古学協会について
埋蔵文化財の保護、関連学術団体との連携・協力・国際交流などを目的に1948年に結成された。(考古学界ではもっとも権威ある団体で、現在の会員数は約4000名)
1947年に登呂遺跡の発掘調査が全国的に注目を集めた。しかし、発掘調査経費が明治大学の後藤守一教授個人への文部省科学研究費交付という形で支出されたことが問題となった。
そこで、1947年(昭和22)12月に考古学の全国的学会を設立のため第1回考古学協議会が開催された。1948年1月には第2回考古学協議会が、2月には日本考古学協会設立準備委員会が結成された。そして4月には設立総会が 開催され、81名の会員数で日本考古学協会が結成された。その後の登呂遺跡発掘調査では、本会が調査主体者となり、調査経費の交付先となった。 高度成長期に入ると各地で開発が進み、多数の遺跡が消滅していった。その中で、本会は千葉県の加曾利貝塚と奈良県の平城宮跡の保存運動を他の文化財保護団体などと協力して推進し、保存することに成功した。また...