新島襄は、一言でいえばいったい何をした人なのであろうか。「同志社の設立者」というのが一番簡潔でまとめられている表現かもしれないが、彼はただの学校の設立者ではない。キリスト教教育に基づく学校というのは、当時では同志社がはじめてである。新島襄がアメリカから十年ぶりに帰国したときは、日本は明治時代のあけぼのであった。明治時代初期の日本ではキリスト教は邪宗門と呼ばれ邪教扱いされていた。そんな中でのキリスト教主義学校設立は相当難しかったに違いない。
彼はいったいなんのために生きてきたのか。何を生きがいとしてきたのか。果たして新島襄はこのような人生を楽しんだのであろうか。このような疑問が私の頭に長い間あった。私には、彼の生き方が楽しいとは到底思えない。私は、人生というのはもちろん自らの使命を果たすために尽力するというのも大切であるが、それ以上に楽しむというのも大切であると思う。自分なら新島襄のような人生は絶対におくれないであろう。
「新島襄の使命」
私は中学一年生と高校一年生の時と二度にわたって聖書科の授業で同志社の設立者である新島襄の生涯について学んだが、学び終わって今までずっと思ってきたことは、「ああ、このような生き方はとても私には真似できない」であった。新島襄という人は、私利私欲に基づいて行動したことがほとんどなかったといえる。私には、地位や名誉が約束される新政府の役人になることを拒む勇気もなければ、密航、そして脱国という「重罪」を犯す度胸すらない。普通の人なら、果たせるかどうかわからない使命を貫くよりも、途中で地位や名誉の誘惑に陥ってしまうであろう。だが、私が最も感心したのは、こうした勇気や度胸よりも、新島襄の信念の強さである。アメリカに行って帰国してから亡くなるまでの十数年間、彼はキリスト教教育に基づく学校の設立だけのために全てを尽くしたのである。いったいどうやったらこのような強靭な精神力を持てるのか、私にはすごく興味があった。改めて彼の人生をふりかえるとともに、彼の「強さ」について調べていきたいと思う。
新島襄は、一言でいえばいったい何をした人なのであろうか。「同志社の設立者」というのが一番簡潔...