鈴木孝夫氏の「日本人はなぜ英語ができないか」という本は、著者の主張や、その理由などは当たり前のことを述べているのだろうが、その当たり前のことこそが、大事なことであり、私としては驚きの連続と、納得と、そして自分自身に言われているような痛みを感じた。
その題名から私は、どうすれば英語が出来るようになるのか、といった内容だと思っていたが、実際はそれだけではなく、今では「国際語」と言われている英語教育の場において、何が必要なのか、などが記されていた。繰り返し登場する筆者の主張は、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」というものと、「日本と諸外国の間に見られる、言語情報の流れの不均衡を是正されるべき問題である」ということである。
私が最も痛感させられたのが、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」という点である。今までの英語教育は、外国(アメリカなど)の文化を積極的に取り入れ、日本人である文化を捨て、外国の真似をするというものだったが、国際交流に最も大切なのは、自分の母国である日本に愛情と自信を持ち、日本を外国に発信させることが出来る、英語教育が必要だ、というところであった。
「日本人はなぜ英語ができないか」を読んで
平成15年11月10日
鈴木孝夫氏の「日本人はなぜ英語ができないか」という本は、著者の主張や、その理由などは当たり前のことを述べているのだろうが、その当たり前の事こそが、大事なことであり、私としては驚きの連続と、納得と、そして自分自身に言われているような痛みを感じた。
その題名から私は、どうすれば英語が出来るようになるのか、といった内容だと思っていたが、実際はそれだけではなく、今では「国際語」と言われている英語教育の場において、何が必要なのか、などが記されていた。繰り返し登場する筆者の主張は、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」というものと、「日本と諸外国の間に見られる、言語情報の流れの不均衡を是正されるべき問題である」ということである。
私が最も痛感させられたのが、「受信型な教育ではなく、発信型の教育を」と言う点である。今までの英語教育は、外国(アメリカなど)の文化を積極的に取り入れ、日本人である文化を捨て、外国の真似をするというものだったが、国際交流に最も大切なのは、自分の母国である日本に愛情と自信を持ち、日本を外国に発信させるこ...