台湾が初めて歴史文献に登場したのは3世紀ごろのことで、当時は東南アジアから渡ってきたとされる先住民族が狩猟や漁労、農耕を営んで生活していた。次第に中国本土から漢民族が移住し始め、元の時代には中国に属するようになった。時代は流れ世界は大航海時代に突入し、1622年にオランダが上陸し、台南地方を占拠した。ぜーランディア城などを建設し、1642年に北部を占領していたスペインを駆逐、台湾全土を支配するに至る。1966年、明の遺臣・鄭成功はオランダ軍との戦いで勝利を収め、台湾を「反清復明」の基地とした。台湾の開発を進めるとともに、大陸の清王朝を打倒して明朝の復活を企てたが、鄭一族は清の征伐軍に破れ、福建省の一部に取り込まれた。19世紀末、日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲され、以後51年間に渡って日本の植民地支配下に置かれることになる。日本政府はこれまで台湾の中心だった台南から台北に総督府を置き、日本語や日本の生活文化を強制し、太平洋戦争にも巻き込んだ。当初は頻繁に武力的な抗日運動も起こっていたが、日本は匪徒刑罰令を発布し、一連の抗日運動を「土匪」の反乱と決めつけた。日本による台湾の植民地支配は、太平洋戦争終結まで続くことになる。
これまで台湾史の流れを簡潔に述べてきた。いつの時代にも他の強国による支配を受け続けてきた台湾。日本軍も非人道的な圧制を執り、台湾の人々を苦しめてきたことは言うまでもない。どんな国にも言えることだが、戦争や侵略の産物や爪痕は、かつて嘗めさせられた辛苦を、或いは忘れてはいけない歴史事実を後世まで伝える語り手として、のちの時代に観光地化されることが多い。台湾も例外ではない。そこで本稿では、私が日本植民地支配をテーマにした台湾旅行に行くと仮定して、そのルートの計画を立てるとともに、台湾人の歴史認識について私自身の体験を踏まえて述べていきたい。
台湾の観光地に残された日本植民地時代の爪痕
台湾が初めて歴史文献に登場したのは3世紀ごろのことで、当時は東南アジアから渡ってきたとされる先住民族が狩猟や漁労、農耕を営んで生活していた。次第に中国本土から漢民族が移住し始め、元の時代には中国に属するようになった。時代は流れ世界は大航海時代に突入し、1622年にオランダが上陸し、台南地方を占拠した。ぜーランディア城などを建設し、1642年に北部を占領していたスペインを駆逐、台湾全土を支配するに至る。1966年、明の遺臣・鄭成功はオランダ軍との戦いで勝利を収め、台湾を「反清復明」の基地とした。台湾の開発を進めるとともに、大陸の清王朝を打倒して明朝の復活を企てたが、鄭一族は清の征伐軍に破れ、福建省の一部に取り込まれた。19世紀末、日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲され、以後51年間に渡って日本の植民地支配下に置かれることになる。日本政府はこれまで台湾の中心だった台南から台北に総督府を置き、日本語や日本の生活文化を強制し、太平洋戦争にも巻き込んだ。当初は頻繁に武力的な抗日運動も起こっていたが、日本は匪徒刑罰令を発布し、一連の抗日運動を「土匪」の...