うなぎの歴史

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    資料紹介

    江戸で蒲焼の全盛期を迎える。当時「江戸前大蒲焼番付」が発行され、評判を競った。(“江戸前”とは元々蒲焼に用いられた言葉であり、それが寿司に転化していった。)「うなぎ蒲焼は天明のはじめ上野山下仏店にて大和屋といへるもの初めて売出す」『世のすがた』(1833年・天保4年刊)

    最初に「うな重」を考案した店は、東京の「重箱」という店であり体裁がよいので他店もそれを真似るようになったと書かれています。そして、「うな重」の器に金・銀で秋草などの上絵を描くと言う技法を取り入れ、「うな重」を更に高価で上品な形として位置づけしていくことになりました

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          【うなぎの歴史】         
    先史時代
    古墳からの出土品に鰻があるが、調理方法は不明。
    鰻は生で食べると血液中に毒素があり舌を刺す味と生臭さがあるため、
    鰻料理が普及したのは旧石器時代末期、火を使うことが発明されてからとされる。
    759年 鰻が文献として最初に出てくるのは、万葉集
    「石麻呂に我物申す 夏痩せによしというものぞ むなぎ捕り喫せ」
    大伴家持
    鰻は強い生命力で海辺から川、湖、沼、山奥の池にもいるため各地で食されたが、鰻は油が強くしつこい為下等魚でおかずではなく薬、栄養食として酢味噌や辛子酢で食されていた。
    1399年 鰻の蒲焼が初めて文献(鈴鹿家記)に登場 江戸時代 鰻の蒲焼の出現 (この頃はまだ、ご飯の上に鰻を乗せる食べ方ではなかった。)
    鰻は高価な食べ物で、町人は「町で駕籠に乗るのと鰻を食べるのが最高の贅沢」と言われていたほどの高級品だった。
    鰻が高価であった理由の一つとして、関東では醤油が作られず、上方からの高価な下り醤油(薄口)しかなかったことが挙げられる。
    元禄時代(1688~1704年) 江戸に鰻の辻売りや、鰻屋が現れる。
    銚子で大豆に小麦を入れ...

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