今回のレポートのテーマは「アイデンティティと自分」であるが、つまり、アイデンティティという側面から自分を客体化して眺めてみようということである。なぜこの課題に取り組もうと思ったのかというと、やはり、アイデンティティの形成という問題が今の自分にとってかなり身近な問題となっているのではないかと考えられるからである。しかし私は何もアイデンティティの形成という問題を至上の課題とみなし、そのために強迫的な状況になっているというわけではない。また、今の私は発達心理学の分類によれば青年期にあたるとされており、青年期はアイデンティティの形成におけるモラトリアムの時期にあたるとされているので、早くアイデンティティを形成しなければ、というような焦りなど必要ないと考えられるし、そのようなあせり感といったものは私にはない。しかし、講義を聴講して、今の自分や、私の思春期以降の自分はIdentity Crisisにおける特徴的な傾向とされるものがそれなりに出ていたのではないか、といった、思い当たる節が結構あったと感じたのである。
例えば、ごく最近の例でいえば、卒論のテーマを如何にするか、といった問題である。多くの人も私と同様にこの問題に悩んだと思うが、私も大きく悩み、選択・決定にあたってははっきりとした決断をすることはできず、結局なし崩し的に方向性が決まっていったという感がある。つまり、そこに自分の意志に基づく主体的な決定はあまり見られなかったということである。また進路選択にあたっても非常に悩んだ。一応方向性としては、学校の教員ではないという形で学校教育を含めた教育に何らかの貢献をしていきたいと考えていたが、それにあたる職業は見つけられず(スクールカウンセラーは臨床心理士の認定が必要だし、その職業に対して私は限界を感じていた)、勉強をする意欲はあったので、大学院に進学してもっと勉強しようとも考えたが、修士論文のことを考えると迷いがないともいえず、大学院進学を第一志望にしたものの、結局試験に落ちた。
アイデンティティと自分
今回のレポートのテーマは「アイデンティティと自分」であるが、つまり、アイデンティティという側面から自分を客体化して眺めてみようということである。なぜこの課題に取り組もうと思ったのかというと、やはり、アイデンティティの形成という問題が今の自分にとってかなり身近な問題となっているのではないかと考えられるからである。しかし私は何もアイデンティティの形成という問題を至上の課題とみなし、そのために強迫的な状況になっているというわけではない。また、今の私は発達心理学の分類によれば青年期にあたるとされており、青年期はアイデンティティの形成におけるモラトリアムの時期にあたるとされているので、早くアイデンティティを形成しなければ、というような焦りなど必要ないと考えられるし、そのようなあせり感といったものは私にはない。しかし、講義を聴講して、今の自分や、私の思春期以降の自分はIdentity Crisisにおける特徴的な傾向とされるものがそれなりに出ていたのではないか、といった、思い当たる節が結構あったと感じたのである。
例えば、ごく最近の例でいえば、卒論のテーマを如何にするか、と...