?.日本人と水
「みずみずしい」という日本語がある。美しさを水で表現する日本独自の表現であり、国語辞典を引くと、「若々しくて、好ましい感じだ」と出てくる。また日本では古来、日本庭園という清水をたたえた日本独自の美の文化を発展させてきた。中世には禅宗思想の影響を受け、枯山水という、水を使わずに水を表現するという美の境地に達したかとも思われる形式を発展させた。このような美の文化は、日本人が水の形を追求し、それ自体がないことに対しても美しさを感じるという裏側に達した文化であると考えられる。そして私達日本人には、元来本質的に、また無意識下に、水に対する美的感覚や親近感、神秘性を感じていたのだと思われる。
私が老子の「水の思想」に美しさを感じたのも、このような観点から考えると自然なことのように思われた。しかし、諸子百家のひとつの学派を成す老子の思想を追求すると、美しいだけの水ではなく、その裏側に水をたとえにした広大な哲学の世界が広がっている。日本人に多大な影響を与えたにもかかわらず、その思想は難解で親しみづらいと感じてしまう諸子百家の一派である老子の思想を水という身近な存在から考察していこうと思う。
?.「上善水の若し」(『老子』第8章)
老子、荘子の思想は、道家と呼ばれている。これは、彼らの思想が究極的実在を「道(タオ)」と定めているからである。すなわち、老子の思想を理解するためにもっとも重要なキーワードが「道」なのである。しかし「『道』は無限なるがゆえに、有限の言葉や形を持って表現することはできない」といわれるように、「道」という概念は捉えがたく、あまりに漠然としていてつかみどころのないように思われる。そこで、老子自身も「水のようなものだ」といっている具体的にイメージしやすい水から考えるのが有効であろう。
「最上の善は、水のようである。」上善とは理想的な生き方をさす。
老子 道と水
Ⅰ.日本人と水
「みずみずしい」という日本語がある。美しさを水で表現する日本独自の表現であり、国語辞典を引くと、「若々しくて、好ましい感じだ」と出てくる。また日本では古来、日本庭園という清水をたたえた日本独自の美の文化を発展させてきた。中世には禅宗思想の影響を受け、枯山水という、水を使わずに水を表現するという美の境地に達したかとも思われる形式を発展させた。このような美の文化は、日本人が水の形を追求し、それ自体がないことに対しても美しさを感じるという裏側に達した文化であると考えられる。そして私達日本人には、元来本質的に、また無意識下に、水に対する美的感覚や親近感、神秘性を感じていたのだと思われる。
私が老子の「水の思想」に美しさを感じたのも、このような観点から考えると自然なことのように思われた。しかし、諸子百家のひとつの学派を成す老子の思想を追求すると、美しいだけの水ではなく、その裏側に水をたとえにした広大な哲学の世界が広がっている。日本人に多大な影響を与えたにもかかわらず、その思想は難解で親しみづらいと感じてしまう諸子百家の一派である老子の思想を水という身近な存在から考...