0015 歴史学 「徳川吉宗・大岡忠相~日本~江戸時代中期」
<課題>
教材「歴史学(第1部~第3部)」から時代及び地域が共通する2~3名の人物を選び、彼等の生きた頃の
時代概観及び地域の在り方を論述しなさい。
<以下本文>
徳川吉宗八代将軍となった徳川吉宗は紀州徳川家の出身であり、それまで幕政を主導して
きた譜代大名に対して遠慮することなく大胆に政治改革を行った(享保改革)。吉宗が最も
心をくだいたのは米価の安定であった。貨幣経済の進展に伴って諸物価の基準であった米価
は下落を続け、それを俸禄の単位としていた旗本・御家人の困窮が顕著なものとなったから
である。
そのため彼は倹約令で消費を抑える一方、新田開発による米の増産、定免法採用による収
入の安定、上米令、堂島米会所の公認などをおこなった。「米将軍」と称された所以であ
る。それ以外にも、財政支出を抑えながら有為な人材を登用する足高制、漢訳洋書禁輸の緩
和や甘藷栽培の奨励、目安箱の設置その他の改革をおこなった。幕府財政は一部で健全化
し、千七百四十四年(延享元年)には江戸時代を通じて最高の税収となったが、年貢税率の
固定化やゆきすぎ
0015
歴史学
「徳川吉宗・大岡忠相〜日本〜江戸時代中期」
<課題>
教材「歴史学(第1部〜第3部)」から時代及び地域が共通する2〜3名の人物を選び、彼等の生きた頃の
時代概観及び地域の在り方を論述しなさい。
<以下本文>
徳川吉宗八代将軍となった徳川吉宗は紀州徳川家の出身であり、それまで幕政を主導して
きた譜代大名に対して遠慮することなく大胆に政治改革を行った(享保改革)。吉宗が最も
心をくだいたのは米価の安定であった。貨幣経済の進展に伴って諸物価の基準であった米価
は下落を続け、それを俸禄の単位としていた旗本・御家人の困窮が顕著なものとなったから
である。
そのため彼は倹約令で消費を抑える一方、新田開発による米の増産、定免法採用による収
入の安定、上米令、堂島米会所の公認などをおこなった。「米将軍」と称された所以であ
る。それ以外にも、財政支出を抑えながら有為な人材を登用する足高制、漢訳洋書禁輸の緩
和や甘藷栽培の奨励、目安箱の設置その他の改革をおこなった。幕府財政は一部で健全化
し、千七百四十四年(延享元年)には江戸時代を通じて最高の税収となったが、年貢税率の
固定化や...