近代の身分制を語るにおいて、最近明らかになってきた周縁身分の存在なしに語ることはできない。周縁身分は中核身分に収まりきれない身分のことであり、中核身分であるために必要不可欠である職分・共同組織・役負担の三つの条件を満たしていなかった。
まず、非人に注目してみると、百姓身分からも非人になりえたということが資料によりわかってきた。百姓身分と同じ檀那寺であったことや村の家数の内に集計されたという例からも、非人は百姓身分の一つの変容形態であり連続した存在であったのだ。また、これまで非人は賤民身分としてかわたと同様に扱ってこられたが、非人はかわたと異なり役負担を行っていなかった。それは百姓という集団からはずされたことで農業経営を行うことができず、役負担が不可能となってしまったからである。よって非人は、中核身分である百姓の周縁身分であると共に、非人=かわたではなく、賤民身分の中核であるかわたの周縁身分としての存在でもあり、百姓身分とかわた身分の中間として位置づけられるのである。次に賤民身分のかわたであるが、職分として農業経営・死牛馬処理・雪駄関連業などを行い、共同組織のかわたネットワークまた、役負担を担っていたことから中核身分であるといえる。ここで注目すべきは、かわたは農業をはじめとするあらゆる職業に従事しており農民と同等の職分をもっていたことやかわた身分固有の職分だけを強制されていたわけではなかった点にある。また、特に雪駄関連業ではかわた村内だけで完結せず、都市を含め近隣の村落社会全体の中で存在しており他身分との交流が日常的にあったのである。しかし、検地帳には農民の中にかわたが肩書きとして記載されており、作成者である村役人から見てやはり百姓とは違うかわたの存在があったということになる。
近代の身分制を語るにおいて、最近明らかになってきた周縁身分の存在なしに語ることはできない。周縁身分は中核身分に収まりきれない身分のことであり、中核身分であるために必要不可欠である職分・共同組織・役負担の三つの条件を満たしていなかった。
まず、非人に注目してみると、百姓身分からも非人になりえたということが資料によりわかってきた。百姓身分と同じ檀那寺であったことや村の家数の内に集計されたという例からも、非人は百姓身分の一つの変容形態であり連続した存在であったのだ。また、これまで非人は賤民身分としてかわたと同様に扱ってこられたが、非人はかわたと異なり役負担を行っていなかった。それは百姓という集団からはずされたことで農業経営を行うことができず、役負担が不可能となってしまったからである。よって非人は、中核身分である百姓の周縁身分であると共に、非人=かわたではなく、賤民身分の中核であるかわたの周縁身分としての存在でもあり、百姓身分とかわた身分の中間として位置づけられるのである。次に賤民身分のかわたであるが、職分として農業経営・死牛馬処理・雪駄関連業などを行い、共同組織のかわたネットワークまた、役...