差別が行われるということは、人権がまもられていないことだと考える。では、人権とは一体どのようなものなのか。私は「人権」=「自由」と考える。私たちは生まれながらにして自由の権利を持っており、人はみな平等であるはずだ。しかし、この権利を持っているのにも関わらず差別が行われていることは、避けられない事実である。だから、私は今回、差別について深く考えることにした。差別には、様々な種類がある。外国人差別・部落差別・男女差別など。私は主にこれらのことについて考えてみた。
まず、外国人差別についての問題はいくつかあるが、在日コリアンの権利についての問題が大きな問題であるだろう。例えば、在日コリアンには他の外国人住民、日本人住民と同様に納税の義務があるのに、日本人と同じように生活上のさまざまな権利が保障されていないことである。日本で生活をしているかぎり、買い物に行けば消費税を払うし、働くことによって所得税も納めている。本来、義務を課せられているのだから日本人と同じような権利があってよいように考えられるのだが、現実には、さまざまな運動により多少は改善されたものの、権利の制限が残されている。権利の制限としては社会保障制度や参政権などがある。社会保障制度について言えば、日本では長い間、生存権は日本国民のみに保障されるとして、在日外国人はさまざまな社会保障から排除されてきた。国民年金法ができた時には「日本国民であること」が社会保障を受ける条件であったため、在日外国人は国民年金に加入することができなかった。1982年、難民条約の発効にともなって、外国人も国民年金に加入できるようになったが、現在も年金がもらえず、苦しい生活を強いられている人たちもいる。これは在日外国人の権利侵害の単なる一側面にすぎない。
差別が行われるということは、人権がまもられていないことだと考える。では、人権とは一体どのようなものなのか。私は「人権」=「自由」と考える。私たちは生まれながらにして自由の権利を持っており、人はみな平等であるはずだ。しかし、この権利を持っているのにも関わらず差別が行われていることは、避けられない事実である。だから、私は今回、差別について深く考えることにした。差別には、様々な種類がある。外国人差別・部落差別・男女差別など。私は主にこれらのことについて考えてみた。 まず、外国人差別についての問題はいくつかあるが、在日コリアンの権利についての問題が大きな問題であるだろう。例えば、在日コリアンには他の外国人住民、日本人住民と同様に納税の義務があるのに、日本人と同じように生活上のさまざまな権利が保障されていないことである。日本で生活をしているかぎり、買い物に行けば消費税を払うし、働くことによって所得税も納めている。本来、...