一、「風水」について
「風水」は、堪與、地理、陰陽、あるいは単に山とも言い、狭義としては住居の立地選択の術、広義としては「環境と地景に対する一種の宇宙論的解釈」である。
風水術は、中国人の大地に対する特有の感覚に基礎を置いていて、大地は冷たい土の堆積ではなく、一個の巨大な生命体とみなされる。そこに生命を賦与するのが気であり、気とは生命体にとって活力の源泉となる生エネルギーである。人体と同様地中にも気がめぐっていると考えられていた。この地中に流れ万物をはぐくむ気を地気と呼び、地中を縦横に走る地気のルートは「地脈」と呼ばれた。各地の独自性を規定するのもこの地中の気であった。地気を環境の中に組みこみ、人間をその環境との相互作用においてとらえる発想は「地霊人傑」(または人傑地霊)の言葉を生み出した。
風水思想では霊なる地気を特に「生気」と呼ぶ。『礼記』月令は、天(陽)気と地(陰)気の結合によってこそ物は生息するという立場で述べられているが、風水思想における生気論の典型となるものは、地気はそれ自体で完全であり、天気との協働をまたずとも万物を生育しうるとする思考である。生気は山に沿って流れるとされるので、山は単なる土塊の隆起ではなく、一個の巨大な生物――龍とされ、起伏しつつ蜿蜒と連なる山脈は龍脈と呼ばれる。龍脈のなかを走る生気は、地下水脈と関わると考えられていたらしく、『地理人子須知』は、「気の来たるは水ありて以てこれを導き、気の止まるは水ありて以てこれを界す」という語を引用している(巻首・雑説)。大地と身体のアナロジーについては夙に『管子』水地篇に、「水は地の血気、筋脈と通流するがごときもの」と述べられているが、この龍脈も気血の流れる人体の経路と対応しているとみなされる。風水思想にあっては、大地は擬似身体なのである。
『風水の発展と東洋思想』
一、「風水」について
「風水」は、堪與、地理、陰陽、あるいは単に山とも言い、狭義としては住居の立地選択の術、広義としては「環境と地景に対する一種の宇宙論的解釈」である。
風水術は、中国人の大地に対する特有の感覚に基礎を置いていて、大地は冷たい土の堆積ではなく、一個の巨大な生命体とみなされる。そこに生命を賦与するのが気であり、気とは生命体にとって活力の源泉となる生エネルギーである。人体と同様地中にも気がめぐっていると考えられていた。この地中に流れ万物をはぐくむ気を地気と呼び、地中を縦横に走る地気のルートは「地脈」と呼ばれた。各地の独自性を規定するのもこの地中の気であった。地気を環境の中に組みこみ、人間をその環境との相互作用においてとらえる発想は「地霊人傑」(または人傑地霊)の言葉を生み出した。
風水思想では霊なる地気を特に「生気」と呼ぶ。『礼記』月令は、天(陽)気と地(陰)気の結合によってこそ物は生息するという立場で述べられているが、風水思想における生気論の典型となるものは、地気はそれ自体で完全であり、天気との協働をまたずとも万物を生育しうるとする思考である...