音楽を聞いている時、我々は全ての音刺激に同程度の注意を向けているわけではなく、様々な仕方で注意を集中させている。注意の向け方は、流れている音楽の種類によって異なっている。たとえば一つの楽器が単純な旋律を奏でている場合には、注意の競合はない。一方、オーケストラが奏でるような音楽では、できるだけ様々な旋律の流れに同時に注意しようとする。しかし我々は、視覚における「ルビンの杯」と同じように、図と地の体制化における二つの様相の間を揺れながらこのような音楽を知覚しているのであって、地のないいくつかの図を知覚しているのではないように思われる。伴奏のついた歌のような場合、一つのパートが普通「図」になり他のパートは「地」になる。では、たくさんある旋律の中からどのような条件で「図」となる主旋律を選択しているのだろうか。
音楽の選択的聴き取りの殆どは自発的である。または少なくともそうみえる。そして、どの情報に注意を向けるかを意のままに選べるという印象を持っている。しかし、ある種の音は他の音よりも注意を引きやすい。大きな音は弱い音よりも、高い音は弱い音よりも気づかれやすいだろうし、一様な音の中に対照的な音が入れば注意を引くだろう。鋭く飛び込んで来るような音は、徐々に始まる音よりも気づかれやすい。ビブラートのかかった音やドラムの連打のような、絶えず変調する音は、なめらかな音より目立つであろう。人の声のような特殊な音は、特に注意を引くように思われる。それらの音の特徴も旋律の知覚に影響を与えている。しかし、旋律を知覚するには、旋律を構成する音高の連続における一貫性を知覚しなければならない。そのためには、旋律の輪郭、リズム、テンポを知覚する必要がある。旋律の輪郭とは、聴き手がまず耳にした時に際立って目立つ音楽の特徴である。
認知心理学概論レポート
音楽における注意
~主旋律の知覚について~
音楽を聞いている時、我々は全ての音刺激に同程度の注意を向けているわけではなく、様々な仕方で注意を集中させている。注意の向け方は、流れている音楽の種類によって異なっている。たとえば一つの楽器が単純な旋律を奏でている場合には、注意の競合はない。一方、オーケストラが奏でるような音楽では、できるだけ様々な旋律の流れに同時に注意しようとする。しかし我々は、視覚における「ルビンの杯」と同じように、図と地の体制化における二つの様相の間を揺れながらこのような音楽を知覚しているのであって、地のないいくつかの図を知覚しているのではないように思われる。伴奏のついた歌のような場合、一つのパートが普通「図」になり他のパートは「地」になる。では、たくさんある旋律の中からどのような条件で「図」となる主旋律を選択しているのだろうか。
音楽の選択的聴き取りの殆どは自発的である。または少なくともそうみえる。そして、どの情報に注意を向けるかを意のままに選べるという印象を持っている。しかし、ある種の音は他の音よりも注意を引きやすい。大きな音は弱い音よりも、高...