1.平城宮について
平城宮跡は奈良盆地の北辺、奈良山丘陵の南山麓から平野部に展開する平城京の中枢機構であり、平城京域の北辺中央に位置する。
平城京のメインストリートである朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていた。朱雀門をくぐると天皇の住居であり、政治や国家的儀式を行う平城宮がある。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門が存在した。
平城宮の内部には政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園など幾つかの区画に別れていた。
平城宮跡
1.平城宮について
平城宮跡は奈良盆地の北辺、奈良山丘陵の南山麓から平野部に展開する平城京の中枢機構であり、平城京域の北辺中央に位置する。
平城京のメインストリートである朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていた。朱雀門をくぐると天皇の住居であり、政治や国家的儀式を行う平城宮がある。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門が存在した。
平城宮の内部には政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園など幾つかの区画に別れていた。その中でも都が一時離れた時期を境にして、奈良時代の前半と後半で大きな変化があった。奈良時代前半に、朱雀門の真北にあった大極殿(第一次大極殿)が、奈良時代後半になると東側の区画に建てられた。(第二次大極殿)
他にも、ほぼ正方形と考えられてきた平城宮が、実は東部に張り出し部分(東院)を持つことが分かったことや、その隅に奈良時代の庭園を発見したことなどは発掘調査による大きな成果といえる。
2.遺跡の保存整備について
昭和37年に起こった電鉄車庫建設計画は、宮跡の存亡に関わる危機であっ...