主婦及び主夫は、専業にしても他に何らかの賃労働を行なっていようとも、主に従事している「家事」という仕事において賃金は支払われてはいない。勿論のことではあるが、世帯内に主婦及び主夫(以下、「主婦」とする)がいようとも、単身世帯などのように「主婦」がいない世帯であっても、家事労働は生活の上で欠かすことは出来ず、世帯内の誰かがそれに従事しなければならない。そのような家事労働を専門に行なっている「主婦」は、その仕事において社会的な価値を生み出しているといえよう。しかし主婦には賃金が支払われないのだ。家事「労働」というからには、その業績に対する対価が支払われるべきではないのだろうか。このような問いに対して、二つの命題が提示できるのではないだろうか。
その一つは、主婦業はその業績を直接的に把握しうる労働形態ではなく、世帯内の賃労働従事者に対する家事労働者の家事支援によって推し量れるため、その業績は賃労働従事者の対価の内に含まれる、というものである。つまり、賃金が支払われる労働に従事している世帯内の構成員の対価の内に、その構成員への「主婦」の貢献によって間接的に対価が支払われているのであり、「主婦」は賃金を支払われていないわけではない、ということである。このような命題は、もっとも親しみやすいものではないだろうか。確かに、賃労働者が賃金を発生させる労働に従事している間に、「主婦」はその人の食事・洗濯等の生活空間の支援をすることによって、賃労働者はその分より賃労働に専念することが可能となるであろう。このように考えることで、間接的にではあるが「主婦」は賃金を支払われていると考えることは可能である。しかし、果たしてそれは本当に「主婦」に支払われているのだろうか。確かに「主婦」の労働は賃労働者にとって大きな―場合によっては欠かすことの出来ない―影響を与えるものである。
「労働」の可視性と「婚姻」の意味変容
主婦及び主夫は、専業にしても他に何らかの賃労働を行なっていようとも、主に従事している「家事」という仕事において賃金は支払われてはいない。勿論のことではあるが、世帯内に主婦及び主夫(以下、「主婦」とする)がいようとも、単身世帯などのように「主婦」がいない世帯であっても、家事労働は生活の上で欠かすことは出来ず、世帯内の誰かがそれに従事しなければならない。そのような家事労働を専門に行なっている「主婦」は、その仕事において社会的な価値を生み出しているといえよう。しかし主婦には賃金が支払われないのだ。家事「労働」というからには、その業績に対する対価が支払われるべきではないのだろうか。このような問いに対して、二つの命題が提示できるのではないだろうか。
その一つは、主婦業はその業績を直接的に把握しうる労働形態ではなく、世帯内の賃労働従事者に対する家事労働者の家事支援によって推し量れるため、その業績は賃労働従事者の対価の内に含まれる、というものである。つまり、賃金が支払われる労働に従事している世帯内の構成員の対価の内に、その構成員への「主婦」の貢献によって間接的...