まず、重要で前提として見落としてはならないのが旧約聖書の神も新約聖書の神も同一の神であり、その本質は同じであるということ。
旧約での神のイメージは厳格で、世界の終末と審判とを背景にして、怒り、罰する父のようなイメージです。それは多くヨハネのもつ神のイメージに反映されている。
新約での神のイメージはやさしく、人々を許し、みなの幸福をねがう母のようなイメージで、イエスのもつ神のイメージである。
またこれにはそれぞれの風土的な違いも反映されていると思われる。ユダヤ教の生まれた死海の周辺は美しく神秘的です、しかし夜になると風が吹き荒れ、周りに神の気配、命がない世界.そこはわれわれが親しみを感じる自然の姿と違っている。厳しい風土の中、ルールを守らなければ荒野の中で暮らせず、共同体が滅んでしまう。だからそこには厳しい神の掟が必要だったという背景が存在する。
これにたいして新約のキリスト教が生まれたガリラヤ地方の湖周辺は自然の命に満ちあふれている.色とりどりの野の花が咲く豊かな農村地帯で、ガリラヤ湖は豊かな漁場だ。
よって「イエスの生涯」のなかでもいわれているとおり、『荒涼たる死海と禿山とはクムラン教団やヨハネ教団に恐るべき神のイメージしか与えなかったが、イエスはそれと反対に人間の哀しさを知る愛の神のイメージをもたれたに違いなかった。』のだ。
旧約聖書と新約聖書の神
まず、重要で前提として見落としてはならないのが旧約聖書の神も新約聖書の神も同一の神であり、その本質は同じであるということ。
旧約での神のイメージは厳格で、世界の終末と審判とを背景にして、怒り、罰する父のようなイメージです。それは多くヨハネのもつ神のイメージに反映されている。
新約での神のイメージはやさしく、人々を許し、みなの幸福をねがう母のようなイメージで、イエスのもつ神のイメージである。
またこれにはそれぞれの風土的な違いも反映されていると思われる。ユダヤ教の生まれた死海の周辺は美しく神秘的です、しかし夜になると風が吹き荒れ、周りに神の気配、命がない世界.そこはわれわ...