平和研究

閲覧数1,396
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     私は、国連での途上国に対する情熱やいろんな困難や挫折を伴いながらもdevelopment workerとしての学ぼうとする姿勢や信念に感動しました。また、いつもの大学での講義での生徒に学ばせるという姿とちがい、先生自身が途上国のことについて学んでいるといういつもとちがった姿がうかがえた。先生の国連での仕事での姿はいつも堂々と教壇に立って講義している姿とは想像しがたいものだった。しかしこういった困難を乗り越えてきたからこそ今の先生の姿があるのだと思う。こういった視点からでもいろいろな貴重な体験談があり、とても私にとってためになったと思う。
     私はこの学びという観点からこのレポートで教育について述べていきたいと思う。ところで日本は途上国に開発援助をしているがその開発援助は一方通行であると思う。私は日本においても途上国から学ぶべきものがたくさんあると思う。いままで教育と発展の関係は経済、社会発展のための手段として捉えられてきた印象が強いが、これからは教育そのものが目的であり、開発の一部として捉えなければならないと思う。つまり、教育、学習というのは人間の基本的人権であることに加え、人間としての基本的なニーズであると考えるべきなのだ。
     教育開発を考えるために、工業化のような科学技術を基礎とした開発とは明らかに異なった視点が必要になってくる。教育の開発段階は開発途上国が先進国より遅れていると簡単に言うことはできない。途上国と先進国で共通する問題も少なくないであろうし、教育改革はどの国でも大きな政治的問題である。したがって先進国の教育経験や制度を移転すれば途上国に根づき、経済、社会開発につながるというものでもない。それぞれの国において教育の課題は同じでもその解決する手段は違うこともある。歴史的背景、文化、社会構造、経済構造、経済構造など国それぞれに教育開発の背景が異なる。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    平和研究
    私は、国連での途上国に対する情熱やいろんな困難や挫折を伴いながらもdevelopment workerとしての学ぼうとする姿勢や信念に感動しました。また、いつもの大学での講義での生徒に学ばせるという姿とちがい、先生自身が途上国のことについて学んでいるといういつもとちがった姿がうかがえた。先生の国連での仕事での姿はいつも堂々と教壇に立って講義している姿とは想像しがたいものだった。しかしこういった困難を乗り越えてきたからこそ今の先生の姿があるのだと思う。こういった視点からでもいろいろな貴重な体験談があり、とても私にとってためになったと思う。
    私はこの学びという観点からこのレポートで教育について述べていきたいと思う。ところで日本は途上国に開発援助をしているがその開発援助は一方通行であると思う。私は日本においても途上国から学ぶべきものがたくさんあると思う。いままで教育と発展の関係は経済、社会発展のための手段として捉えられてきた印象が強いが、これからは教育そのものが目的であり、開発の一部として捉えなければならないと思う。つまり、教育、学習というのは人間の基本的人権であることに加え、人間...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。