1. 要旨
この本では、著者が関わってきた長良川のダム反対運動の経過や、日本各地の河川の現状、世界の河川開発の潮流やそれらの国の河川開発の歴史、河川行政の転換を求める動きや公共事業見直しについて述べられている。それらの事例(著者の体験)から、日本において、ダムをはじめとする公共事業が、政治や市民運動の中でどのように位置づけられてきたかについて触れ、ダムをはじめとする無駄な公共事業に対しての見直しを訴えている。具体的には、日本は100 年以上前までは、「洪水」を「水害」にしない知恵を地域ごとに持っていたが、明治時代に入って欧米の近代河川工法を真似し、更に次々と日本の川に行政がダムを造っていったことによって、かえって治水や利水のメリット以上に、自然環境に悪影響を及ぼしてしまうなどのデメリットのほうが大きくなってしまったことが挙げられている。しかも、近年、世界各国ではダムの功罪を認め、ダム開発の見直しが図られているにもかかわらず、日本では未だにダム建設に群がって、利益を
得ようとする政官財の癒着トライアングルが存在している。また、ダムを作る理由も、治水、利水、灌漑、発電など、ダム建設の言い訳としては時代遅れで、まともな説得力を持つものはどれひとつとしてないとのことである。この点に関して、著者が長年取り組んできた長良川のダム反対運動での経験談から、日本のダム開発に対する姿勢を事細かに書いている。現在は、昔と比べるとダム反対の流れが市民やNGO を中心に徐々にではあるが強まってきてはいるものの、しかしながら行政側は依然として「ダムはもっと必要である」という姿勢を崩してはいない。これに対して著者は、21 世紀の河川管理の主体は市民であるべきで、住民の声や環境がもっと重視されていかなければならないと批判し、ダムの存在によって得られる利益と、ダムによってもたらされる損害やダム
なしの状態で得られる利益を考えればダムは必要ない、ということを訴えている。
天野礼子著
ダムと日本
岩波書店、2001 年
1. 要旨
この本では、著者が関わってきた長良川のダム反対運動の経過や、日本各地の河川の現
状、世界の河川開発の潮流やそれらの国の河川開発の歴史、河川行政の転換を求める動
きや公共事業見直しについて述べられている。それらの事例(著者の体験)から、日本に
おいて、ダムをはじめとする公共事業が、政治や市民運動の中でどのように位置づけら
れてきたかについて触れ、ダムをはじめとする無駄な公共事業に対しての見直しを訴え
ている。具体的には、日本は 100 年以上前までは、「洪水」を「水害」にしない知恵を
地域ごとに持っていたが、明治時代に入って欧米の近代河川工法を真似し、更に次々と
日本の川に行政がダムを造っていったことによって、かえって治水や利水のメリット以
上に、自然環境に悪影響を及ぼしてしまうなどのデメリットのほうが大きくなってしま
ったことが挙げられている。しかも、近年、世界各国ではダムの功罪を認め、ダム開発
の見直しが図られているにもかかわらず、日本では未だにダム建設に群がって、利益を
得ようとする政官財の癒着トライアングルが存在...