戦後復興期の東京における都市計画

閲覧数5,877
ダウンロード数16
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     戦後復興期の都市形成において、東京は他の都市と比べ特異な発展を遂げた。戦争の甚大な被害によって、それまで存在していた都市は廃墟と化したものの、近代都市の理想を達成するためという側面からは好ましいとも言える状況が揃っていた筈の東京だが、その理想は全く実現されなかった。復興期の理想都市は、どのような変貌を遂げたのだろうか。
    復興期の前提条件
     復興期の理想都市をみていくにあたって、戦前・戦中の都市形成の理念にも触れておく必要がある。1910年頃の日本の大都市には、「郊外地統制」、つまり「スプロール化の規制」が重要な課題となっていた。その為、1924年アムステルダム国際都市計画会議の大都市圏計画の7原則は、その後の日本の都市計画に多大な影響を与えた。その7原則とは、?大都市の無限の膨張は望ましくない、?衛星都市建設による人口分散、?緑地帯による市街地取り囲み、?自動車交通の発達は要注意、?大都市のための地方計画、?地方計画の弾力性、?土地利用規制の確立、である。この原則に則って、関東地方大東京地区計画(1940)では、東京の30〜40km圏内を大東京地区、その範囲を大都市区域、緑地帯、田園郊外、工業進行区域(衛星都市)、農業地域として、アムステルダム会議の大都市地域計画論が忠実に適用されている。しかし、戦時下の軍備拡大や軍需工場の分散のため、緑地計画によって市街地の拡張を抑制するための土地が「防空」目的のために使われ、軍事施設や軍需工廠が無秩序に乱立した。このような理念と戦時下の乱立が、復興期の都市計画に大きな影響を与える。
    復興計画の理想
     1945年12月には「戦災地復興計画基本方針」が閣議決定したが、この基本目標は「過大都市の抑制並びに地方中小都市の振興」という、戦前からの都市計画の理念を改めて追求しているものだった。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    戦後復興期の東京における都市計画
     戦後復興期の都市形成において、東京は他の都市と比べ特異な発展を遂げた。戦争の甚大な被害によって、それまで存在していた都市は廃墟と化したものの、近代都市の理想を達成するためという側面からは好ましいとも言える状況が揃っていた筈の東京だが、その理想は全く実現されなかった。復興期の理想都市は、どのような変貌を遂げたのだろうか。
    復興期の前提条件
     復興期の理想都市をみていくにあたって、戦前・戦中の都市形成の理念にも触れておく必要がある。1910年頃の日本の大都市には、「郊外地統制」、つまり「スプロール化の規制」が重要な課題となっていた。その為、1924年アムステルダム国際都市計画会議の大都市圏計画の7原則は、その後の日本の都市計画に多大な影響を与えた。その7原則とは、①大都市の無限の膨張は望ましくない、②衛星都市建設による人口分散、③緑地帯による市街地取り囲み、④自動車交通の発達は要注意、⑤大都市のための地方計画、⑥地方計画の弾力性、⑦土地利用規制の確立、である。この原則に則って、関東地方大東京地区計画(1940)では、東京の30~40km圏内を大東京地区、...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。