孔子は紀元前五五一年頃、魯の陬邑で下級武士の父・叔梁紇、呪術関係者の母・顔徴在の私生児として生まれた。孔子の幼少年期の記録はほとんど残っておらず、三歳の時に父を亡くしたことほどしか知られない。孔子は十七歳の時、当時魯で昭公をおさえ権勢を振るっていた三桓の一人、季孫氏の元を訪れた。地元の名士の宴席に季孫氏の側近・陽虎が孔子を追い返したことが『史記』に著されている。孔子が季孫氏の元を訪れた理由は詳らかではないが、大夫として取り立てられることを望んでと推察される。
二十歳頃、孔子は穀物管理を司る委吏の官、後に牛馬を司る田吏の官についたことが『孟子』にある。当時の魯の政情は三桓、主に季孫氏の勢力が強く、昭公の存在は細微なものになりつつあった。そのような国情を孔子は目の当たりにしながら、礼楽の素養を身につけたものと思われる。
二十代後半頃、孔子は周に遊学したと見られる。『史記』にはこの周遊ぶの際に老子と会見したことを触れているが詳細の記録はなく、真偽は分からない。周遊の理由について『史記』に「季民また公室を僭し、陪臣国政を執る。是を以て魯は大夫より以下皆正道に僭離す。故に孔子仕えず退いて詩書礼楽...