熊野古道の賑わいの記録としては、鎌倉初期の九条兼実の日記『玉葉』には「人まねのくまのもうで」(文治4年9月15日の条)とあるほか、時代降っては、小瀬甫庵の『太閤記』(1625年成立)巻二の冒頭部に「蟻之熊野参り」、江戸中期の谷川士清の辞書『和訓栞』(1777年以降完成)に「蟻の熊野詣」、江戸後期の国学者喜多村節信の類書『嬉遊笑覧』(1830年序)巻十二に「蟻の熊野参り」があります。
熊野古道にまつわる話は、種々多様ですが、私が始めて聞いた話をいくつか書きたいと思います。まず一つ目が、飢えや渇きで息絶えた旅人の霊、ヒダル(ダル、ダニ)の話です。ヒダルは、熊野を旅する人に取り憑くと言われ、その体験談は数多く報告され、決して珍しいものではないそうです。体験談としては、熊野を歩いていると、突然ひどくお腹がすいたので麓の食堂に連れて行くと、まだ3、4歳の子どもが大人でも食べ切れないような量を食べたそうです。他にも、歌人・前登志夫の吉野山中での体験や、南方熊楠が明治34年冬より2年半ばかり那智山麓に在住の折、大雲取で餓鬼(ヒダルダル)に取り憑かれたという話もあります。
このように、熊野は他の観光地よりも、霊・宗教と密接に関係している土地なのです。それは、街道を歩いても気づかされます。まずは、街道の「花折り地蔵」です。これは行路死人を供養するという一般的な意味の他に、花榊・香の木・花・香花を供え、死臭消しの為に作られた背景を持ちます。また、当地では「峠を越える時は握り飯を持っていけ」と声をかけられることが、しばしばあります。これは、先ほど書いたヒダルから身を守るためだそうです。この事と関連している風習が、箸を持たずに山中に入る風習ではないかと思います。
私の中の熊野古道
熊野古道の賑わいの記録としては、鎌倉初期の九条兼実の日記『玉葉』には「人まねのくまのもうで」(文治4年9月15日の条)とあるほか、時代降っては、小瀬甫庵の『太閤記』(1625年成立)巻二の冒頭部に「蟻之熊野参り」、江戸中期の谷川士清の辞書『和訓栞』(1777年以降完成)に「蟻の熊野詣」、江戸後期の国学者喜多村節信の類書『嬉遊笑覧』(1830年序)巻十二に「蟻の熊野参り」があります。
熊野古道にまつわる話は、種々多様ですが、私が始めて聞いた話をいくつか書きたいと思います。まず一つ目が、飢えや渇きで息絶えた旅人の霊、ヒダル(ダル、ダニ)の話です。ヒダルは、熊野を旅する人に取り...