はじめに
「『少年』は前期の作品のうちでは、一番キズのない、完成されたものであることを作者は信じる」 と谷崎は後年述べている。「キズのない」というのは、初刊本への異同が少ないこと もあるだろうが、谷崎がここで強調するのは、おそらく緻密に計算された小説世界である、ということであろう。
今まで「少年」(明治四四年六月「スバル」)は、その題名の通り、少年たちを中心に論じられてきた。例えば、舞台が日本館、西洋館と変わろうと、物語の主体は少年たちで、彼らの間で何が起こり、彼らが何を感じ、結果的に何が言いたいのか、あるいは少年たちが分け入る世界の中心に何を見るかが問題とされてきた。これは確かに間違いないことであろう。谷崎は少年たちの行動をうまく描写し、西洋館での一夜はあまりにも劇的な展開をむかえる。だが、それらを論じるあまり、見落とされがちなことがある。それは大人の存在であり、現実社会の存在である。「少年」の世界は、少年たちのみで構成されているのではない。大人は、子どもに対して単に「補助的な役割としてわずかに登場するだけ」 であり、「彼らの遊びに現実を持ち込む大人は登場しない」 のであろうか。また...