『現代アメリカの通商政策』について-第二章貿易匡正法の変遷と通商政策

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    資料紹介

    要約
     本章では1960年代から90年代前半期を対象に、アメリカ通商法の重要な一部を構成する貿易匡正法の変遷とその通商政策上の意義について検討していく。
    アメリカでは、1962年通商拡大法をきっかけとして、大統領は二国間でなく多国間交渉による関税の一括引き下げという新たな方法の交渉権限を授権されるようになった。それに基づいてアメリカ政府は、1963年5月にGATT交渉、ケネディ・ラウンドを開始した。これにより、主に工業品の関税引き下げを対象として、先進工業国の関税を平均で36〜39%引き下げを行い、従来の関税引き下げ交渉の中で最大の成果を収めた。ケネディ大統領は通商拡大法を、イギリスをEECに加えた拡大EECとの間に大西洋同盟を構築し、NATOを強化するという対ソビエト冷戦戦略とリンクさせることで、西側世界の経済的同盟が強化されると考えた。またこの通商法に基づく通商交渉によって、アメリカの対西ヨーロッパ輸出が増え、国際収支が改善されるとともに、国内では雇用とビジネスが拡大すると訴えた。このように多角的な貿易自由化を進めようとした1962年通商拡大法は、エスケープ・クローズによる国内産業の輸入救済基準も厳しくした。この変更によって、関税引き下げによる貿易自由化を推し進めるが、それによる輸入急増に対する救済は例外的なものにしようとしたのであった。また、同法は、一部の労働組合が要求していた貿易調整支援プログラムを新設することによって、輸入急増で損害を受けた産業の労働者と企業に対して、それぞれ失業時の所得保障と事業再編のための支援を行うこととした。なぜなら、貿易自由化を進めるためには、それによって損害を受ける利益集団に対する所得分配政策を通じた産業調整及び労働調整のための政策が、保護主義を防ぐために重要だったからだ。このように1962年通商拡大法は、GATTの多角的な貿易自由化交渉権をケネディ大統領に授権するとともに、貿易自由化に伴う国内産業構造と雇用の調整を目指したのであった。

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    『現代アメリカの通商政策』について
    第二章貿易匡正法の変遷と通商政策
    要約
     本章では1960年代から90年代前半期を対象に、アメリカ通商法の重要な一部を構成する貿易匡正法の変遷とその通商政策上の意義について検討していく。
    アメリカでは、1962年通商拡大法をきっかけとして、大統領は二国間でなく多国間交渉による関税の一括引き下げという新たな方法の交渉権限を授権されるようになった。それに基づいてアメリカ政府は、1963年5月にGATT交渉、ケネディ・ラウンドを開始した。これにより、主に工業品の関税引き下げを対象として、先進工業国の関税を平均で36~39%引き下げを行い、従来の関税引き下げ交渉の中で最大の成果を収めた。ケネディ大統領は通商拡大法を、イギリスをEECに加えた拡大EECとの間に大西洋同盟を構築し、NATOを強化するという対ソビエト冷戦戦略とリンクさせることで、西側世界の経済的同盟が強化されると考えた。またこの通商法に基づく通商交渉によって、アメリカの対西ヨーロッパ輸出が増え、国際収支が改善されるとともに、国内では雇用とビジネスが拡大すると訴えた。このように多角的な貿易自由化を進...

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