始めに
「ベルリンの壁の崩壊」このニュースを初めて見たのは、私はまだ小学生の時であった。そのころはドイツという国は存在している程度しか知らなかったし、ましてや、過去に分断されていた事などの歴史を学んだのはそれから6年後の中学に入ってからであった。よって、ドイツ統一とは私の中で、比較的新しい歴史として存在している。今回私が取り上げたテーマはドイツの「統一」ではなく「分断」の部分である。統一の部分は過去に授業でも取り上げ、また実際にその歴史的瞬間にたちあったことからも大抵の知識は持っていると思う。しかし、統一の根本的な原因ともいえる分断という出来事に対しては、私は充分な知識を持っていない。この一連の出来事は米ソの冷戦と共に論じられてきたが、他の国はどのように関わったのだろか。そして、なぜドイツは分断の道をたどってしまったのか、その過程を国家間の関係を通して見ていきたいと思う。このレポートではドイツ分断までに行われた国家間の会談を中心にその背景に迫っていく。
第一章
ヨーロッパにおいて、ファシズム打倒後にドイツを分割するという計画は、ドイツ軍がソ連を攻撃した1941年6月頃からすでに存在していた。それ以来、第二次世界大戦中の経過でドイツの侵略が失敗したことがだんだんとはっきりするにつれ、ドイツの将来に関する連合軍の討議は活発に行われるようになったといえる。ここではテヘラン会議とヤルタ会談を通して米英ソの政治的関わりを見ていく。<中略>
ドイツ分断のプロセス
始めに
「ベルリンの壁の崩壊」このニュースを初めて見たのは、私はまだ小学生の時であった。そのころはドイツという国は存在している程度しか知らなかったし、ましてや、過去に分断されていた事などの歴史を学んだのはそれから6年後の中学に入ってからであった。よって、ドイツ統一とは私の中で、比較的新しい歴史として存在している。今回私が取り上げたテーマはドイツの「統一」ではなく「分断」の部分である。統一の部分は過去に授業でも取り上げ、また実際にその歴史的瞬間にたちあったことからも大抵の知識は持っていると思う。しかし、統一の根本的な原因ともいえる分断という出来事に対しては、私は充分な知識を持っていない。この一連の出来事は米ソの冷戦と共に論じられてきたが、他の国はどのように関わったのだろか。そして、なぜドイツは分断の道をたどってしまったのか、その過程を国家間の関係を通して見ていきたいと思う。このレポートではドイツ分断までに行われた国家間の会談を中心にその背景に迫っていく。
第一章
ヨーロッパにおいて、ファシズム打倒後にドイツを分割するという計画は、ドイツ軍がソ連を攻撃した1941年...