人権(同和)教育 「同和教育の意義・歴史を概括し、学校にお

閲覧数2,948
ダウンロード数5
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

      「同和教育の意義・歴史を概括し、学校にお   
    ける同和(人権)教育実践の具体的なあり
    方について述べなさい。」
                               
     同和教育が生まれるに至る、差別の歴史は紀元107年の倭の国の記録に記されている、奴隷という意味の「生口」からである。また、魏志倭人伝の記録にも、「大人」、「下戸」、「奴婢」という身分制度があり、この身分制度は、豪族集団の征服・支配の紛争関係の中で形成され、勝者が敗者を奴隷的存在としてきた。
    江戸時代の「穢多・非人」などという身分が今の部落差別につながっている。それが今だに根強く今日まで残ってしまっているのである。しかし、このような「穢多・非人」という身分制度に対する反対も各地で起こっている。有名なのが岡山藩の渋染め一揆である。また各地で続発した百姓一揆に穢多が参加することも少なくなかったが、一揆の鎮圧や首謀者の行刑に穢多や非人が動員されたことも事実であり、明治維新の身分解放令に対する「解放令反対一揆」をもたらす一因になったと思われる。
    明治4年8月28日に解放令が公布された。しかしこれは、賤称の廃止を宣言したにす...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。